ヒゼキヤは、当時、圧倒的勢力を誇っていたアッシリアのセンナケリブに攻め込まれます。センナケリブは軍事力をもって攻めるだけではなく、南ユダの人々が信じている神がいかに無力であるかを演説して民を惑わしたり(9∼15節)、手紙を送って(16∼19節)降伏を促したりもしました。しかし、そのような危機にあればこそ、彼は預言者イザヤの進言もあったのでしょう。上記聖句のように語って民を励まし、更にはその主なる神の御前に遜って祈ったのです。その在りようこそ、どのような時にもわたしたちに求められていることであり、御心に適うことであるのです。
その困難なとき、「主は御使いを遣わして、アッシリアの王の陣営にいる勇士、指揮官、将軍を全滅させられた」(21節)のです。恐らく、アッシリア陣内に疫病が発生し死者も多く出て、彼らは退却を余儀なくされたのでしょう。ヒゼキヤは、当時の覇者、アッシリアのセンナケリブに勝利したのです。周囲の国々が表敬訪問するほど、彼は称賛されます。本来は、そこでこそ御前に
遜
るべきでしたが、彼は高ぶりました(25節参照)。その驕り高ぶりの故、彼は病にかかり瀕死の状態になります。
彼は改めて「思い上がりを捨ててへりくだったので」(26節)病気は治り、寿命も15年延びました(列王記下20:6参照)。ところが、病気が治ると、彼は再度思い上がります。見舞いに来たバビロンの王に、自国の秘密事項に匹敵するものを、自慢げに開示するのです。そのことが、後のバビロン捕囚に繋がることになるとは、彼は夢にも思わなかったでしょう。順調であれ逆境であれ、神こそが主権者であることを覚えて常に御前に謙遜であることが如何に大切であるかを、ヒゼキヤの晩年を見るとき、深く思わせられるのです。
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