あなたを生かす聖書の言葉

2022年7月3日(投稿)

今週の聖句    歴代誌下29

「神が神の民のためにしてくださったことを喜び祝った。このことが速やかに行われたからである」

(歴代誌下29:36) 

歴代誌下2932章は、ヒゼキヤ王についての記述です。特に彼の宗教改革について詳細に記されます。列王記には、ヒゼキヤの記述は勿論ありますが、宗教改革については18:4に記されているだけです。歴代誌下の詳細さとは比べものになりません。以前にもお話ししたことがありますが、歴代誌は神殿礼拝が正しく為されることを、強く勧めているのです。礼拝が正しく守られてこそ、人間の回復も起こることを、歴代誌家は良く知っていたのです。

ヒゼキヤは、前王アハズが持ち込んだ偶像など、汚れた物を全部キドロンの谷に放棄します(16)。その上で神に供え物をします。そのことが意味していることは、宗教改革とは、自分を主とする在り方を放棄して、神にこそ栄光を帰することだということが分かります。カルヴァンの宗教改革も礼拝改革でもあったと言われています。ひたすら主なる神とその御言葉に集中できるように像や絵画や華美な装飾を破棄し、わたしたちの感情を高揚させるような讃美歌も廃止して詩編歌のみにしたのです。自分たちの満足とか益を主にするのではない、神にこそ誉れを!と彼は願ったのです。主イエス様による宮清めも一種の礼拝改革です。祈りの家(神に栄光を帰するべき場所)を、強盗(自分の益のみを求める者)の巣にしてしまっていたことを、主は厳しく叱責なさったのです。これはいつの時代でも起こることです。わたしたちも知らず知らずのうちに、礼拝においても自分の願いや欲望、願望を主にしていることがあるのです。しかし、それは主に最も厭われることなのです。

上記36節の言葉の通り、神御自身が礼拝を改革なさるのであり、その分、主なる神は、わたしたちが神の像を回復することを願っておられるのです。そのことを覚えて、わたしたちも主にこそ栄光を帰するのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

今週の聖句(バックナンバー)