あなたを生かす聖書の言葉

2022年6月19日(投稿)

今週の聖句    歴代誌下26

「彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた」

(歴代誌下26:16) 

上記はユダの王ウジヤについての言葉です。彼は、ゼカルヤ(多分、祭司)が生きている間は、神を畏れ敬い主を求める生活をし、様々な面で繫栄しました。領土も広まり軍事力も増し、農作物も豊作でした。しかし、勢力を増すと共に思い上がり、神殿で香をたくという祭司の務めまでするようになったのです。それで、彼は重い皮膚病になり、汚れた者として御前に出ることができなくなり、存命中なのに息子ヨタム(27章)に王座を譲ることになったのです。

神は民を治めるために、三つの務めを持つ者を立てました。王と祭司と預言者です。王は神の御心を聞くために預言者を立てます。預言者は祭司の務めが形式的にならないように常に見張ります。祭司は油を注いで王を立て、王の歩みが御心に適うように執成します。三者は各々独立してこそ正常に働き、一人の神を神として崇めるために仕えることになるのです。三職の存在は、神の主権が立つために定められた務めであったのです。神の民イスラエルにとって、最も大切なことは神の主権であるのです。先にウジヤ王が香も焚いたというのは祭司の務めを奪い、自分が主権者になろうとしたことの表れだったのです。だからこそ、彼は主なる神に厭われたのです。

繰り返しますが、肝心なのは神の主権です。主が主として立つことです。教会においても同じです。この教会において必要なことは、教会員の考えや意見通りになることではありません。御心が成ることであり、キリストの主権が現されることです。キリストが頭として臨むような教会の形成です。そのことを果たし得るように、わたしたちの教会では長老制度を取るのです。牧師、長老、執事という違う務めを持つ者たちが立てられ、それらの者たちの会議が出したことの中に御心があると承認して、それに従って教会生活を送るのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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