「あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくも、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」ヨハネの黙示録3:15〜16の言葉です。この言葉の、冷たいとか熱い、なまぬるいとはどういうことなのかについて、様々な意見があります。それらが何を意味しているにせよ、主キリストが口から吐き出すとおっしゃっているように、主が受け入れることを快しとしない信仰者がいるのです。それはどういう人でしょうか。
歴代誌下25章には、ユダの王アマツヤについて「主の目にかなう正しいことを行ったが、心からそうしたのではなかった」(2節)
と言われています。彼がエドム人を攻撃しようとしたときです。30万の兵士を用意できました。彼は更に北イスラエルから10万人の兵士を傭兵として雇おうとします。神の人(預言者)は「主はそれより多くのものを与えることがおできになります」と語り、人にではなく、神に信頼して生きることを勧めます。アマツヤは不承不承ですが、それに従います。
エドムとの戦い自体は勝利で終わります。しかし、アマツヤは、あろうことか戦利品としてエドムの偶像をユダに持ち込み、礼拝するのです。それは主なる神を信頼していないことの典型ですから預言者は激しく叱責します。しかし、アマツヤはその叱責を一蹴します。預言者は更に「あなたは…わたしの忠告を聞かない。それゆえ神はあなたを滅ぼそうと決められた」と告げます。実際その後、アマツヤは以前傭兵を求めた北イスラエルと戦うことになるのですが、捕らえられ、最後は味方の謀反により殺されます。惨めな最後でした。
彼は心では主に委ねず、常に自分と自分の思いを主にしました。主が吐き出し給うのは、そのような者でありましょう。
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