歴代誌下17〜20章は、ユダの王ヨシャファトについての記述です。彼はダビデと同じように主なる神を求め、その戒めに従って歩み、民にも信仰に基づく教育をしました。国も繁栄し順風満帆の歩みでした(17章参照)。
しかし、北イスラエルの王アハブが、一緒にラモト・ギレアドを攻め上ろうと誘ってきます。ヨシャファトは御心を聞くべきだと言うと、アハブは自分の息がかかった預言者400人を呼び、攻め上ることが御心だと言わせます。ヨシャファトは更にミカヤという預言者を呼ぶことを依頼します。ミカヤは「主は生きておられる。…神が言われることを…告げる」(18:13)と言い、天上の神の会議の様子を詳細に語り(18:18∼22)、
攻め上ることは御心ではないと告げます。アハブは、自分の意に反する言葉を語ったミカヤを監禁します。ヨシャファトは結局アハブに負けて、ラモト・ギレアドに攻め上ることになります。しかし、途中でそれは間違いであることが分かり、彼は戦いの最中に「助けを求めて叫んだので、主は彼を助け」給うたのです(31)。
信仰生活には誘惑や試みが付き物です。目標に向かって真っ直ぐに進むということは稀です。急勾配の山道を電車がスイッチバックをしながら登るように、行きつ戻りつしながら前進してゆくのです。ヨシャファトはミカヤの預言を聞きながらも、アハブの勢いに押されて、御心ではない戦いに加わります。しかし、途中で過ちに気づき、主に助けを求めたのです。そのように、呼び求めることができる主が、わたしたちの歩みに寄り添ってくださっているのです。ですから、気が付いた時、直ぐに呼び求めればよいのです。
無事にエルサレムに帰還したヨシャファトに対し、預言者イエフは冒頭に記した19:3の言葉を語ります。いつも、揺るぐことなく神を求めることが、わたしたちにも願われているのです。
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