あなたを生かす聖書の言葉

2022年5月1日(投稿)

今週の聖句    歴代誌下12

「レハベアムは…自ら力をつけると…主の律法を捨てた」

(歴代誌下12:1) 

K.バルトがアメリカで講演した時、聴衆の一人が「あなたは膨大な量の文章を書いたが、何が言いたかったのか、25字以内で答えてください」という質問をしたところ、バルトは、「Jesus loves me, this I know, for the Bible tells so…」と歌い始めたということです。皆さんご存じの讃美歌461「主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ」の英語の歌詞です。圧倒的な恵みの御力をもって臨み給う主が共にいますので、我々は弱くても、主にあって強いのです。それが、我々キリスト信者の大事であります。

レハベアムはソロモンに継いで南ユダの王になり、国は主の御支えの許で強固になっていきます(11:17参照)。彼は自分の働きで強固になったと思い、主なる神などいらないと思ったのでしょう。彼は「主の律法(主の御言葉)を捨て」たのです。しかし、そこで待っていたのはエジプト軍の侵略です。彼は御前に悔い改めます。故に、主の怒りは辛うじて離れ、滅びは免れます。「王が遜ったので、主の怒りは彼から離れ、彼が徹底的に滅ぼされることはなかった」(12:12)とある通りです。

他方、レハベアムの次の王、アビヤの場合です。北イスラエルのヤロブアムが80万の兵を引き連れて南ユダに攻め、南ユダの40万の兵士を前後から挟み打ちにし、彼らを滅びの危機に陥れます。アビヤは、絶体絶命の状態の中で、主なる神が「塩の契約(永遠の契約の意味)をもって…王権を…授けられたこと」(13:5)に言及し、「主が我々の神であり、我々は、その主を捨てはしない」(10)と徹底した主への信頼を表明します。結果、南ユダが勝利するのです。「主を頼みとしたからである」(18)とあります。正に「主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ」であります。わたしたちも、主キリスト・イエスをこそ、いつも頼みとするのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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