あなたを生かす聖書の言葉

2022年4月3日(投稿)

今週の聖句    歴代誌下2

「天も、天の天もこの方をお納めすることができない」

(歴代誌下2:5)

ソロモンが建てた神殿について、2章は資材の調達について、3章はその規模や内部の様子、4章は神殿の祭具について、各々記されています。そこを読むと、神殿の絢爛豪華さが分かります。しかし、それがどれほど高価であっても、神は人の作った物の中に入るはずはありません。上記聖句はソロモンの言葉ですが、正にそのとおりです。神殿において重要なことは、その規模とか豪華さではなくて、そこでどのような礼拝がなされるかであります。

それに関わることとして、わたしたちは、神殿が「モリヤ山」に建てられた(3:1)ということに注目したいのです。モリヤの山は、かつてアブラハムがイサクを焼き尽くす献げ物として献げるために、祭壇を築いた場所です(創世記22)。アブラハムは100歳になって、念願の嫡子イサクを賜りました。しかし、後日、そのイサクを献げよと神はアブラハムに命じます。アブラハムがどれほど苦悩したかは、想像に難くありません。その苦悩の果てに、彼は決心して、主の御言葉に従うためにモリヤの山にイサクを連れて上り、祭壇を築き、薪を並べ、イサクを縛ってその祭壇の薪の上に乗せたのです。そのモリヤの山に神殿を建てたということは、神殿の礼拝において必要なものは、そのように御言葉に徹底して従う信仰であるということでしょう。

神は、アブラハムがイサクを献げるために ( やいば ) を向けた正にその時、「その子に手を下すな」と語ります。そして、息子に代わって献げるべき雄羊を備えてくださっていました。神は、遂には「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)として御子を備えてくださったのです。絢爛豪華な建造物でも収まることがない神が、御自身の方から御子において十字架の低きにまで降り給うて、わたしたちの罪を贖ってくださったのです。その恵みの主を、アブラハムのような信仰をもって、礼拝することが最も重要なのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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