あなたを生かす聖書の言葉

2022年1月9日(投稿)

今週の聖句    歴代誌上1

 聖書「アダム、セト、エノシュ、・・・」

(歴代誌上1:1)

歴代誌上下とエズラ記、ネヘミヤ記も含めた四つの文書は、歴代誌的歴史観をもってイスラエルの歴史を記しています(エズラ記、ネヘミヤ記が歴代誌の続きと言って良いのは、歴代誌の終わりの部分とエズラ記の初めの部分は、殆ど同じ文章あることを考えてみたら分かるでしょう。歴代誌を記したのはエズラであるという説もあるほどです)。今までの創世記から列王記まで(ルツ記を除く)も、イスラエルの歴史の記述でした。それは、申命記的歴史観に基づいて記されたものです。歴代誌の歴史観の特徴のひとつは、神殿を主に考えている歴史であると言って良いでしょう。

実際、歴代誌は、エルサレム神殿の建設に関わったダビデ、ソロモンについて多くの紙幅を割き、祭司の先祖であるレビ族の系図に詳しく、王の名は神殿があるエルサレムを都としている南ユダの王たちしか出て来ず、エズラ、ネヘミヤはバビロン捕囚からの帰還後、神殿の再建に努めたことなどを考えてみても、明らかでしょう。神殿を中心にしているのは、その建物に関心があるからではありません。大事なことは、その神殿での礼拝です。肝心なことは、どのような礼拝を献げているのか、真に神を神として礼拝しているか、です。

歴代誌はイスラエルの系図をアダムから始めていますが、聞いたことがない人物や、正当な血筋から言えば傍流に過ぎないような人々の名も出てきます。それらの一人一人が、神の救いの計画という鎖の一つ一つの輪のようになっていることを示そうとしてのことでしょう。同時に、直接イスラエルの歴史に関わりのない者もまた、神の御支配の中にあることをも示しているのです。すべてを支配し給う神が、わたしたちの救いの計画を進展させてくださったのです。そのことに感謝し、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ」(ロマ12:1)て、主なる神を礼拝することが、神の民の務めなのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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