あなたを生かす聖書の言葉

2021年9月19日(投稿)

今週の聖句    列王記下12

 聖書「献金を渡された人々は忠実に仕事をする者であった」

(列王記下12:16)

アハズヤの母アタルヤの私憤によって殺されることを辛うじて免れたヨアシュは、七歳の時、祭司ヨヤダによって油注がれて南ユダの王になりました。彼は「祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行」(3)いました。その一例が、ここに記されている神殿修理です。

最初、その工事は祭司たちに委託されました。「割り当てに従って課された献金」と「自発的にもたらされる…献金」とを資金として、祭司たちが修理するよう命じられたのです。しかし、祭司たちはその修理をしませんでした。献げられた物が少なかったのか、祭司たちが着服したのかは不明です。

そこで、ヨアシュはやり方を変えます。一つは、祭司たちをその修理の任務から外します。もう一つは、修理のための費用を、すべて自由献金で ( まかな ) うことにします。その詳細は1017節に記されています。そこを読むと分かるように、自由献金によって献げられたものによって、什器の整等を除く他の修理は無事に終了したのです。16節には、修理にあたった者たちは「忠実に仕事する者であった」と記されています。これは「信仰に基づいて働いた」と訳すことができるということです。

教会の働きは、献金も含めて「信仰に基づく」べきなのです。「信仰に基づく」ということは、単に、自発的であるということではありません。好きだから、自分の満足につながるから自発的にするのではありません。そういうあり方は教会を壊します。人間の思いが中心になっているからです。必要なことは、主への「信仰に基づく」自発性です。それが、主の御栄光を表すことになるのであれば、 仮令 ( たとえ ) 厭うべき事であっても、目に見える益をもたらさないものであっても、喜んで献げもするし、奉仕もするのです。そのような主への「信仰に基づく」自発性が教会を正しく建て、あなた自身をも健やかにするのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

今週の聖句(バックナンバー)