あなたを生かす聖書の言葉

2021年7月11日(投稿)

今週の聖句    列王記下2

 聖書「見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。」

(列王記下2:11)

預言者エリヤは、エリシャが見ている前で天にあげられました。エリヤは特別な存在であったのです。実際、後日、キリストの先駆者としてエリヤが再び来るという信仰が生じました(マラキ3:23)。天に上げられるエリヤを見ていたエリシャは、「わが父、わが父、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」(12)と叫びました。それほど、エリヤが神の権能を得ていたのです。その権能をエリシャが受け継ぎます。エリヤの外套をエリシャが得たということが(8,14節参照)、その事実を示しています。大事なことは、その権能の内容です。

エリヤが天に上げられる前、エリシャも行動を共にしましたが、ギルガルからベテル、エリコ、そしてヨルダン川の畔へと移動しました。これは、興味深いことに、高地から低地への移動です。低きへ低きへと移動しているのです。それは、彼が持っていた権能が、低くなって仕えるものであったことを象徴しているでしょう。何よりも主に仕えるのです。主をこそ主と崇め、主の御業を示すのです。主の御業の典型は、旧約聖書では出エジプト(紅海渡渉)であり、奴隷からの解放(罪の贖い)の出来事ですが、それを思わせる出来事が、エリヤの外套絡みで、実際に8,14節に記されています。エリヤからエリシャに受け継がれた権能は、神の贖いの御業に仕える権能であったのです。

その贖いの出来事は、遂には、十字架のキリストの昇天の出来事において果たされました。その意味では、彼らは十字架の主を証しするために仕えたと言ってよいのです。今やそれは、わたしたち教会の務めです。エリシャはエリヤの権能を示す外套を持つ者となったのですが、教会は外套を持つだけにとどまらず、十字架のキリストを着る者とされて、主の救いの御業を証しする権能を与えられているのです。そうであればこそ、その勤めを果たして行くのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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