あなたを生かす聖書の言葉

2021年3月14日(投稿)

今週の聖句    列王記上5章

 聖書「わたしは、わたしの神、主の御名のために神殿を建てようと考えています。主が父ダビデに、『わたしがあなたに代えて王座につかせるあなたの子が、わたしの名のために家を建てる』と言われたからです。」(5:19)  

 上記聖句は、ソロモンがティルスのヒラム王に使節を遣わして言わせた言葉です。ソロモンの神殿建設は、彼自身が決めたことではなくて、主なる神が父ダビデに約束していたことであったのです。それに、その神殿はソロモン王の権勢や繁栄ぶりを見せつけるためではなく、主なる神の御名のために、即ち御名が崇められ、栄光が帰されるために建てられるのです。

 わたしたちの教会は改革教会の伝統を持っていますが、改革教会の特徴の一つは、徹底した神中心主義です。同じキリスト教でも、わたしたち自身の回心、体験などを重んじる教会もあります。しかし、わたしたちは、神の恵み、神の崇高な意志、神の救いの御計画などを主にするのです。神が神として立つこと、神に栄光が帰され、主なる神が神として崇められることこそが、わたしたちにとって重要なことです。「この世における神の栄光と目的は、人間の魂の救済よりも重要である」(リース)と言われ、更には「カルヴァン主義者にとっては、神論が教理中の教理、ある意味では唯一の教理なのである」(ヘッセリンク『改革派とは何か』P.146)と語られるほどです。

 確かに、神が神として立つのではなければ、わたしたちの救いも堅固に保持されることはないでしょう。わたしたちの信仰の強固さより、神の救いの意志の真実であることの方が、余程わたしたちの救いの確かさを保証してくるでしょう。ですから、わたしたちは、信仰生活において自分の益とか願いが満たされることではなく、まず「主の御名のため」ということを、いつも優先させるのです。神に栄光を帰する、神中心の信仰に生きるのです。そのことが、わたしの救いの確かさにもつながるのです。

 

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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