ソロモンが広大な国をどのようにして納めたか、その統治体制への言及は4章にあります。そういう体制を考え出すことができたのも、神がソロモンに、上記聖句にあるような、非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになったからでしょう。その知恵、洞察力、広い心は「あらゆる国の民が、ソロモンの知恵を…聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾け」(5:14)るほどのものでした。
神はわたしたちにも、そのような知恵を与えてくださいます。「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい」(ヤコブ1:5〜6)とある通りです。神は、だれにでも必要な知恵を与えてくださるのですが、問題は「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい」とある点です。わたしたちは、全幅の信頼をもって願うということは、なかなかしないのです。いつも半信半疑です。
ニーバーの祈りと言われる祈りです。「神よ、変えることができないものについてはそれを受け入れる平静さを、変えることができるものについてはそれを変える勇気を、そして、その両者を見分ける知恵をお与えください」。正に、変えて良いものと変えてはいけないものを見分ける知恵こそが、真の知恵でしょう。そして聖書には「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」(コロサイ2:3)とあります。変えることができるものと変えることができないものを見分ける知恵も、キリストの内にあるのです。そのキリストがわたしたちの傍らいて、御言葉を語っているのです。その主の御言葉を、いささかも疑わず信仰をもって聞いて、真に必要な知恵を与えられて参りましょう。
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