ソロモンの統治体制が確立します(12,46節)。12〜46節の記述は、5〜9節にあるダビデの勧めが実現したことを示しています。そのことからも、この章の中心になっているのは、2〜11節であると言えるでしょう。
ダビデは死に直面して「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている」(2節)と語ります。死は、世のすべての者がたどることになる道です。そしてその道は、誰の道であれ、すべて主なる神の摂理の御手の内にあるのです。「生きるに時があり、死ぬるに時がある」(口語訳聖書、伝道の書3:2)と言われているように、すべての時は主なる神が定め給うのです。そして、主なる神は「約束されたすべての良いことは、何一つたがうことは」なさらないお方でもあるのです(ヨシュア23:14)。
わたしたちは、身内の者の死について疑義を覚える場合もあるでしょう。或いは、若くして亡くなった方や苦しいことが多かった人の死を思って、どうして神はこのような惨いことをなさるのかと思うこともあるでしょう。わたしの日曜学校時代の教師であった方が50代の若さで亡くなった時、そのお嬢さんが、遺稿集の中で「神さま、わたしたち家族に欠くことが出来ない父を召さなければならないほど、天国は人手が足りないのですか」と記していますが、そのような悲痛な訴えをしたくなる時もあるでしょう。しかし、「約束されたすべての良いこと」を、神は為し給うのです。すべては御手の内にあるのです。
そうであれば、ダビデが2節の言葉に続けて語っている上記聖句のように主の御言葉に聞き、その主を「まことをもって、心を尽くして、魂を尽くして」(4節)礼拝して生きるのです。それが、わたしたちの信仰生活(ソロモンの場合では王国)を健やかに立てる道なのです。
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