サムエル記下22章は、内容は詩篇18編と同じです。この歌は、2〜31節と32節以下の二つに大別され、いくつかの要素が入っていますが、冒頭の2〜3節の呼びかけ、47節以下の神賛美が、初めと終わりを括っており、基本的には神賛美、神信頼の歌です。そしてそれは、キリスト者の生活でもあります。
「主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔」(2∼3節)。これらは、いずれも、寄り頼むに値するものことであり、神は、それらのようにわたしたちを守ってくださるのです。そしてその神に信頼すればこそ、「主は命の神/わたしの岩をたたえよ。/わたしの救いの岩なる神をあがめよ」(47節)と、神信頼を表明し、神に向かってたたえの言葉を口にするのです。
この歌の中で、ダビデは「主は天を傾けて降り/密雲を足もとに従え/ケルビムを駆って飛び/風の翼に乗って現れる」(10〜11節)と告白します。この部分は、ダビデが困難に置かれていた時のことを歌っています。そのとき、神はダビデを苦しめている者への激しい怒りをもって「天を傾けて降り」給うて、ダビデに臨んでくださったのです。彼と共にいて、その困難の中にあっても彼を支え、救いへと導き給うてくださったのです。その神が、今や、御子において「天を傾けて降り」給うて、わたしたちと共にいましてくださるのです。インマヌエル(神、我らと共に)が、御子において真実になっているのです。どのような状況に置かれても、その事実には変わりはないのです。
投獄された日の「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌を歌って神に祈って」(使徒言行録16:25)いたように、インマヌエルの事実の故に、何があっても「主は命の神」と呼びかけ、主への賛美と祈り(信頼)に生きるのです。
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