サムエル記下21〜24章にはダビデの感謝の歌や最後の言葉などがありますが、それらを除くと、ここに記されていることは、いわば付録のようなもので、それぞれ、独立したエピソードになっています。今日は、おもに21:1〜14に聞きたいと願っています。
時期は不明です。飢饉が三年続いたので、ダビデがその理由を知りたくて主の託宣を求めたところ、サウルが、ギブオン人(およそ250年前のヨシュアの時代に誓約を交わしていた民)を殺害し血を流した、その罪の償いがまっとうになされていないからだ、と示されます。ダビデは早速にギブオン人を呼び「どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるのだろうか」と問います。彼らは冒頭の言葉を語った上で、「わたしたち…の…滅亡を測った男(サウロ王のこと)…の子孫の中から七人を…渡してください」と答えます。ダビデはその通りにします。七人の者は殺され、さらし者になります。しかし、リツパという娘がその七人の死体を、昼は空の鳥が、夜は野獣が襲うことから守り抜いたという美談が付け加えられます。それによって、少しは救われる思いになりますが、この出来事がここに記された理由は何か、と問わずにおれません。
これによって、わたしたちは、罪は何年たっても消えず、しかもその罪は金銀によって償うことが出来ないということを示されます。どれ程の金銀でもってしても永遠に消えることがない罪の呪いのもとにあるのが、わたしたちです。その罪が、御子イエス・キリストの十字架の血潮によって贖なわれ、わたしたちは赦しと祝福を与えられているのです。
主イエス様の十字架において示されている恵みの豊かさ、大きさ、深さを、わたしたちは改めて覚え、感謝せざるを得ないのです。
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