「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます」(エフェソ4:15)。これは教会の在り方を語っている言葉です。神が支配し給うイスラエルも同じです。そこでは、頭である主なる神がいつも念頭に置かれ、主とされる必要があります。その主の愛が溢れているのでなければ、主なる神が支配し給う国とは言えないのです。
息子アブサロムはダビデに反旗を翻しましたが、結局、殺されます。ダビデはそれを嘆きに嘆きます。自軍が凱旋帰国をしてきたときも、ダビデは嘆き続けました。「その日の勝利は喪に変わった」(3節)とある通りです。兵士たちの士気は下がったでしょう。反乱軍を制圧したのですから大いに祝福され、労ってもらって当然でしたが、迎えてくれた王は嘆いているのです。勝利を恨んでいると疑われても仕方がないでしょう。それを正したのが将軍ヨアブです(6∼8節参照)。自分たちの頭が主なる神であることを、ダビデに知らせてくれたのです。(息子への)自分の思いを主にするよりも頭である主に向かってゆくことが、具体的には主なる神の群れを形成する家臣の心に語りかけるのが、いかに重要であるかを、ここを通してわたしたちも知り得るのです。
今後のダビデの務めは、この内乱によってばらばらになった民の心を一つにすることです。そのために、まずアブサロム軍の長であったマアサを自軍の将軍とします(14節)。他の反逆者達にも寛大な措置を講じます。彼は愛をもって関わったのです。「頭であるキリストに向かって」行くということは、具体的には、主の「愛に根ざして」生きることです。ダビデを始め、わたしたちが経験する全てのことは、そのことを知るための訓練の機会になるのです。
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