あなたを生かす聖書の言葉

2020年12月13日(投稿)

今週の聖句    サムエル記下16

  聖書主がわたしの苦しみをご覧になり…呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」(サムエル記下16:12

ダビデは逃避行の中で、改めて主を見上げる機会を得たと思われます。

まず、ダビデに手を指し伸べる者がいました。ヨナタンの息子メフィボシェトです。従者ツィバを介して、多くの食料を提供しました。主なる神はダビデを見捨てていないということを知ったことでしょう(14節)。無論、いまだにダビデを呪う者もいました。前の王サウルの血肉の者、シムイです。彼は激しい勢いでダビデを呪い、糾弾します。しかし、ダビデはそれに対して平常心を持って対応し、「主が…呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」(12節)と語ります。ダビデは、一切は御手の内にあるということを認めることが出来るようになってきているのです。更に1523節には、ダビデに反旗を翻した長男アブサロムが、アヒトフェルという人物と共に行動し、着々と勢力を拡大してきたことが記されています。しかし、聖書は、そのことについて「神託のように受け取られていた」と言います(23節)。すべては御手の内にあるということを示している言葉です。

詩篇3編は、「ダビデがその子アブサロムを逃れたとき」に歌われた詩篇です。恐らく、サムエル記下1613に続けて歌われたのだろうと推測されています。その詩篇では、「多くの者がわたしに言います/「彼に神の救いなどあるものか」と」(2)とあり、続けて「主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/わたしの頭を高くあげてくださる方」(3)と歌われます。逃避行という悲惨な境遇の中で改めて頭をあげた時、なお御手の内にあることをダビデは知り、また確信したのです。    

信仰生活は、何が起こっても主を見上げつつ歩む生活です。そこで、御手の内にある自分を見出し得るのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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