あなたを生かす聖書の言葉

2020年12月6日(投稿)

今週の聖句    サムエル記下15

  聖書ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った」(サムエル記下1530)

アブサロムは「イスラエルの全部族に密使を送り…「アブサロムがヘブロンで王となった」」(10)と宣言し、父ダビデ王に反旗を翻しました。以前から民衆の心を得るための働きをしていたこともあり、その宣言を聞いた民の心はアブサロムに移り、多くの民が彼の許に集まりました。ダビデ王は後にアブサロムに対し「今からはあなたの僕です」(34)と、敗北発言とも言える言葉を発します。そして都落ちです。「その地全体が大声をあげて泣く中…王はキドロンの谷を渡り」(23)、「頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った」(30)。惨めな敗残兵の姿です。アブサロムの義兄殺しの罪を放置した報いと言っても良いでしょう。

約千年後、主イエスが同じようにキドロンの谷を渡りオリーブ山の坂道を上 って行かれました。それは、ゲッセマネの園で祈るためでした。その祈りよって主なる神の御旨を示された主イエスは、十字架にかかり我々の罪の贖ってくださいました。その後、十字架刑が決まり、刑場であるゴルゴタへ行く途中、イエス様のために泣いている女たちに、主はむしろあなたがた自身とその子孫とのために泣けと仰せになり、罪の悔い改めを求めました。罪のない御子でさえ十字架で裁かれるとしたら、悔い改めがない者がどれほどの仕打ちを受けるかを考えて見よ(ルカ23:2831)と仰せになったのです。こここでの主イエスは、外見上はかつてのダビデと同じようでしたが、内容的にはまったく違い、罪の贖い主、罪と死への勝利者として歩まれています。

その主イエスによる罪の贖い、罪と死への勝利を知っている我々は、自分の 境遇の惨めさを思って涙するのではなく、その惨めさを招いた自分の罪を悔い改めて御前に立ち返り、主への信頼に生きてゆくのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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