あなたを生かす聖書の言葉

2019年5月12日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

偶像礼拝を避ける  

 聖書「子たちよ、偶像礼拝を避けなさい。」(Tヨハネ521)

 上記がTヨハネの最後の言葉です。様々なものを神にしてしまう中に居ればこそ、わたしたちはこの言葉を真剣に聞き、偶像礼拝に陥らないように警戒すべきでありましょう。偶像礼拝とは、何も実際の像を拝むことだけではありません。自分が貴重だと思っているものは何であれ、偶像になります。金、名誉、学識、自分の主張、考え等であっても絶対化するなら、それは偶像礼拝になるのです。

聖書は「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20:3,口語訳)と語っています。それは十戒の第一の言葉です。そして、これこそが「神学的公理」であると、バルトは言いました。ということは、第一戒こそわたしたち信仰者が無条件で聞くべき言葉であり、そこに生きることがわたしたちの信仰生活なのです。偶像礼拝を避ける道は、神をこそ神として礼拝する所にあるのです。更に言えば、わたしたちの罪の贖いのために十字架に掛かり、死者の中から甦って新しい命を賜う主キリストをこそ独り子なる神として礼拝し、その主に己を献げて生きるのです。

「キリスト教的、神学的公理というものがあるとすれば、それは…〈イエス・キリストは甦り給うた。真に甦りたまうた!〉という事実である」と、バルトは言っています。彼は十戒の第一の言葉こそ神学的公理だと言いましたが、その見解が変ったのではありません。十戒の第一戒が神学的公理だということが、主の復活において明白になったのです。ですから、その勝利者キリストへの信仰に生きることが、偶像礼拝を避けることになるのです。わたしたちは勝利者キリストの許に立ち返るのです。その主が味方としていますゆえに、だれもわたしたちには敵対しえないことをアーメンと言って信じ受け入れ、主の御名を高らかに称えて生きるのです。その主に、自分の全てを献げて生きるのです。それが偶像礼拝を避ける生活になるのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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