あなたを生かす聖書の言葉

2019年4月14日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

御心に適うことを願う  

 聖書「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」(Tヨハネ514)

今の言葉に続けて、「願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります」(5:15)とあります。わたしたちの「願い事は何でも聞き入れて」いただけるのです。ですから、今願っていることも既に、神さまが聞き届けてくださっている、と確信できるのです。そうであればこそ、わたしたちは絶えず祈るのです(Tテサロニケ517参照)

勿論、「何でも」とは言っても、「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求め」(ヤコブ4:3)るのであれば、それは聞き入れられないでしょう。わたしたちの祈りは、子供が親に「あれ買って、これ欲しい」とおねだりするようなものではありません。祈りは、我が儘な欲望を満足させるための手段ではないのです。はたまた、自分の要求を押し通すための方策でもありません。祈りにおいて大切なことは、わたしたちの願いではなく、神の御心です。「御心に適うことを願うなら、神は聞き入れてくださる」とある通りです。だからと言って、わたしたちはしばしばするそう言いますが、枕詞のようにして「御心ならば〜〜してください」と言いさえすれば、それで良いのではありません。

主イエスは「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マルコ10:45)と仰せになりました。そのことから分かります。主なる神の御心は、わたしたちを罪の中から救うという所にあるのです。その御心に適う祈りをわたしたちも祈るのであり、その祈りこそが聞き入れられるのです。ですから、わたしたちも他者の救いを願って、執り成しの祈りをなし続けるのです。そこで、この教会も、主が頭(カシラ)として臨んでいる主の教会に相応しくなるのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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