聖書がわたしたちに告げようとしていることは、わたしたちが「永遠の命を得ていることを悟」ることです。わたしたちは永遠の命に与っているのです。しかし、それは、わたしたちはいつまでも死なないとか、肉体は滅んでも魂は永遠に生き残るということではありません。上記聖句のすぐ前では「この命が御子の内にある」(11節)と言われ、「御子と結ばれている人にはこの命があ」(12節)る、と言われているのです。永遠の命は御子の内にあるのです。否、独り子なる神である主イエス・キリスト御自身が、永遠の命そのものなのです。実際、主イエスは「わたしは…命である」(ヨハネ14:6)と仰せになっています。ですから、その御子と結ばれている者こそが、永遠の命を持つのです。
そして、わたしたちは、バプテスマにおいて御子と結ばれているのです。その結びつきこそ永遠です。とこしえに変わらないのです。わたしたちの側においては、環境が変わったり、体調が悪くなったり、人間関係が損なわれたりし、それに伴って心持が変わるのです。主イエスを信じる信仰の揺らぎ、愛が枯渇するような思いになったり、何の希望も持てなくなるというようなことがないではないのです。サタンや罪は、主イエス様によって打ち破られてはいますが、今なおわたしたちを攻撃してきて、それに敗北してしまいそうになることもあるのです。
しかし、わたしたちと結びついてくださっている主イエスさまの側では、何ら変わりはないのです。主は御手を伸ばして、わたしたちを捕え、わたしたちと結びつき続けてくださっているのです。主が勝ち取ってくださった勝利を与えてくださり、永遠の命に生き得るようにしてくださっているのです。ですから、いつも、ハレルヤ、アーメンと賛美するのです。
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