イエスさまは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けました。その洗礼は罪の悔い改めのバプテスマでした。独り子なる神であり、罪の無いイエスさまは、罪の悔い改めのバプテスマを受ける必要はありませんでした。しかし、お受けになったのです。そのようにして、イエスさまは、わたしたちと同じ罪人の一人に数えられたのです。
更に、主イエスは十字架にお掛かりになって、わたしたちに代わって罪の裁きを受けになりました。その十字架の血によってわたしたちの罪が贖われ、罪の赦しを得たのです。「血を流すことなしには罪の赦しはあり得ない」(ヘブライ9:22)という言葉が示すように、主イエスの十字架上で血潮によって、罪の赦しがわたしたちに与えられたのです。そのように、独り子なる神、真の神であるキリストは、バプテスマを受け十字架で死に給うことにより、つまり水と血によって来られ、真の人となり、救いを成し遂げてくださったのです。真の神であると同時に、真の人であるイエス・キリストこそが、わたしたちの真の救い主であられるのです。
そのことは“霊”が証ししてくださいます。主イエスご自身も十字架にお掛かりになる前、弟子たちに、聖霊こそが「わたしについて証しをなさるはずである」(ヨハネ15:26)と仰せになりましたが、聖霊なる神が、主イエス・キリストは真の人であると同時に真の神であることを証ししてくださるのです。実際、ここでも「証しするのは三者で、“霊”と水と血です。この三者は一致しています」(Tヨハネ5:7∼8)と記されている通りです。
わたしたちは、聖霊の導きを受けながらその信仰に堅く立って、ここに真の神にして真の人であられるキリストの体なる教会の形成のために、自分自身を献げて仕えてゆくのです。
|