あなたを生かす聖書の言葉

2019年3月17日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

世に打ち勝つ信仰  

 聖書「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(Tヨハネ54)

わたしたちは神から生まれた者、即ち神の子とされているのです。主イエス・キリストこそが神の独り子ですが、わたしたちはそのキリストを長兄とする主の兄弟であり、父なる神の御前では、神の子らなのです。実際、わたしたちはキリスト者は皆、「天にまします我らの父よ」と祈るのです。イエスさまからそのように祈るようにと言われましたし、またそのように祈ることができるのです。ということは、イエス様が罪と死が支配する世に打ち勝って神の右に上げられているように、わたしたちも罪と死に勝利する者、世に打ち勝つ者とされているということです。

この世での信仰生活について、「この勝利は今は隠されている。その意味で、確かに未だに目に見える形では実現していないものである。…しかし、この勝利は確かである。ことは、既に勝敗の決した戦いの、いわば「終戦処理」に過ぎない」と言っている人がいます。この言葉のように、わたしたちは地上にある限り、罪との戦いや死との戦いが続くでしょう。しかし、それはもう勝敗が決したのちの戦いなのであり、いわば終戦の処理作業なのです。勿論、だからと言って侮る訳にはゆきません。思わぬ所で足元を掬われないとも限らないからです。そのためにも、イエスさまを神の子として礼拝し続けるのです。5節を「イエスを神の子とする者ならずして、誰が世に勝つものぞ」訳している人がいますが、そのように、イエスさまを神の子としてゆくのです。他のものを神としたり、主としたり、第一としたりするのではありません。他のものは、何程のものであったとしても被造物です。ですから、それらを主とするのではなく、「わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ1633)と仰せになっている主イエスをこそ、主として崇めるのです。それが、世に打ち勝つ、わたしたちの信仰です。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

今週の聖句(バックナンバー)