あなたを生かす聖書の言葉

2019年1月6日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

小さくなり給う神  

 聖書「神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内に留まってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。」(Tヨハネ324)

「神がわたしたちの内にとどまってくださる」と、ここにはあります。少し前に読みましたが、神は「わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じ」(20)のお方です。そのお方が、わたしたちの内にとどまってくださるのです。この「とどまる」という字はヨハネが好んで使う字で、「結びつく」とか「つながる」「居る」などと訳すことができます。神は、御子においてわたしたちのわたしたちの中に入って来られ、わたしたちと結びついてくださり、わたしたちの内に居てくださっているのです。

わたしたちは「心に責められることが」ある者です。御前に出るに値しないのです。御前に出たら、その罪の故に滅びに至るほかないような罪人です。しかし、神は、そのようなわたしたちのうちに、キリスト・イエスにおいて入って来られたのです。それほど、小さくなってくださったのです。単に小さくなられただけではありません。わたしたちの大きく深い罪をご自身が引き受けて、十字架にお掛かりになってくださったのです。そのことによって、わたしたちは神との関係を修復していただいて、神と和解の関係、平和の関係に入る者とされたのです。

21節には「神の御前で確信を持つことができ」るとありますが、これは文語訳聖書では、「神に向いて懼(オソ)れなし」と訳されています。その訳語の通り、わたしたちは神の内にとどまるために、懼れることなく神に向っていくのです。そして喜びをもって御名を称えるのです。神との関係を御子において修復いただき、聖霊なる神によってその関係をより確かなものとされているのですから、感謝し御前に出て主を礼拝してゆくのです。それが「神の内にいつもとどま」ることになるのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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