あなたを生かす聖書の言葉

2018年11月18日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

互いに愛し合う  

 聖書「なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。」(Tヨハネ311)

聖書が初めから勧めていることは、互いに愛し合って生きていくことです。ここでは、愛に生きることをしなかったカインの例を引き合いに出して、互いに愛し合うことを、具体的に示しています。

カインとアベルは最初の兄弟でした。二人は神に献げ物をしました。神はアベルの献げ物に目を留めましたが、カインのものには目をお留になりませんでした。それに対して「カインは激しく怒って顔を伏せ」(創世記4:5)ました。そのカインに神は仰せになります。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか」と(6~7)。カインはそれには何も応えず、後日弟アベルを殺したのです。

神がおっしゃっているように、カインは自分が間違っておらず、正しいことをしていると自覚しているのであれば、顔を上げ、神を見上げ、主として礼拝し続ければよかったのです。しかし、彼は主なる神を見ませんでした。主なる神ではなく自分を見、自分を主にしていたのです。そのような在り方のままで、どれほど高価なものを神の献げたとしても、またよしんば愛の行為を他者に対してしたとしても、神はお喜びにならないのです。神の喜び給うことは、何よりも「正義を行い、慈しみを愛し、遜って神と共に歩むこと」(ミカ6:8)です。

そのことからも明らかです。わたしたちに必要なことは、主なる神が、どれほどわたしたちを愛してくださっているかを覚えることです。独り子なる神を賜うほどわたしたちを愛してくださっている神の愛(慈しみ)を覚え、その神の御前に遜るのです。その神の愛がわたしたちすべての者に及んでいることを知るとき、わたしたちは奢り高ぶるのではなく、むしろ御前に遜って互いに愛し合う歩みを、自然と為すようになるのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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