あなたを生かす聖書の言葉

2018年10月21日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

罪を犯すことのない我ら  

 聖書「御子は罪を取り除くために現れました。御子には罪がありません。御子の内にいる人は皆、罪を犯しません。」(Tヨハネ356a)

今や「御子は…現れました。」御子はわたしたち罪の世に降り給うのです。御子には罪がありません。罪ある者は自分の罪だけで手いっぱいで、他の者の罪を代わって担い罪の裁きを受けることはできません。罪のない御子だけが、わたしたちの罪を代わって担うことができます。また御子は真の神であるからこそ、神の裁きを完全に受けることができます。だからこそ、御子が現れ給うことによって、わたしたちの罪が取り除かれるということが起こったのです。

今や、わたしたちは「御子の内にいる」者とされているのです。「いる」という字は、「つながる」「結びつく」「とどまる」と訳すことができる字です。わたしたちは父なる神と同じ真の神であるキリストと、つながっているのです。否、御子がわたしたちの内にとどまってくださっているのです。だから、わたしたちについても「罪を犯しません」と言えるのです。わたしたちはもはや罪の支配下にはおりません。罪を贖ってくださった「御子の内にいる」のです。個々の言葉や行為においては罪を犯すかもしれません。しかし、もはや罪やサタンが、わたしたちを支配しているのではありません。わたしたちは、誰が何と言おうと、御子の、恵みの主の支配下にいるのです。

同じ悔い改めをせざるを得ない自分を嘆いた人がいました。生きることが辛い、この生にどんな意味があるのですかと訴えた方もいました。痛みを伴う病に苦しんだだけの一生でしたと落涙した方もおられました。そのように、罪と死と虚無が、どれほどわたしたち脅かしているにしても、それらのものの上には、既に主イエスの足がのせられ、主イエスがそれらのものの上に勝利者として立ち給うておられるのです。惑わされずに、勝利者キリストの恵みを信じ、そこに留まりましょう。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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