あなたを生かす聖書の言葉

2018年9月16日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

心にとどめるべきこと  

 聖書「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。」

 (Tヨハネ224)

「心にとどめる」というのは、単に記憶するとか覚えておくという字ではなく、「つながる」とか「結びつく」という字です。「初めから聞いていたこと」とは、勿論、使徒的福音であり、その中心は主イエス・キリスト御自身です。ですから、ここでは、その福音に聞き、福音そのものであるキリストに留まりなさい、結びつきなさいと勧められているのです。

今の聖句の続きは、「初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう」(24)というものです(下線部の字はいずれも「とどめる」と訳されていた字と同じ字です)。これを読むと、わたしたちが主イエスに留まるということをクリアできたら、イエスさまも神様もわたしたちの内にいてくださる、と言っているように聞こえます。しかし、そうではありません。わたしたちがイエス様に結びつくより先に、神さまが、主イエスにおいて、わたしたちに結びついてくださっているのです。

実際、神は、わたしたちが神に背を向け、遠く離れているにも拘らず、御子をわたしたちの所にお遣わしくださり、更には御子の十字架によってわたしたちの罪を贖って御前に出ることができるようにしてくださったのです。神との結びつきは、主なる神の方から、主の恵みによって、具体的には御子におい既に始まっており、その恵みの事態が今もわたしたちに及んでいるのです。わたしたちは、自分たちの罪にも拘らず神に肯定されており、今や「神の過分なしかし絶対的で明白な「然り」」(バルト)の中にいるのです。

そのことを覚えればこそ、感謝と喜びをもって「初めから聞いていたことを、心にとどめ」るのです。そして福音そのものである「御子を公に言い表す」(23)のです。「公に言い表す」とは「告白する」とか「賛美する」という字ですが、そのように主への賛美・礼拝に生きるのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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