キリスト教会はその歩みの初めから、イエス様をどのように告白するかを巡って戦ってきました。今日の箇所に出てくる「反キリスト」という言葉もそのことに関係しており、当時の教会に入り込んでいた異端的主張をする者たちのことを言っている言葉です。
彼らは、「御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです」とあるように、主イエス・キリストが御父と同じ神であるということを信じませんでした。主イエス・キリストにおいて真の神が真の人となり給うという、御子キリストの受肉を信じないのです。従って、主イエスの十字架と復活による罪の贖いによる救いも、認めません。
「反キリスト」とは「アンチ・キリスト」の訳語ですが、「アンチ」には「反対」という意味もありますが、「代わって」という意味もあります。彼らはイエス・キリストの受肉を認めないだけではなく、そのキリストに代わって別なもの(特別な霊的知識)を主とし、それを持つことによって救いにも至ると言っていたのです。つまり、キリストの御座に、キリストに代わって自分たちの知恵とか特別な霊的認識を置こうとしたのです。
同じことは、いつの時代でも形を変えて現れます。真の人となり給うた真の神である主イエス・キリストの十字架と復活によるのではなく、わたしたちの業とか働き、宗教感情や伝統的な儀式習慣、特別な知識や理性などによっても、救いに至り得ると考えてしまうのです。救いは主の恵みによることであり、それ以外ではありません。主の恵みに加えて、自分の側にある物にもものを言わせようとするとき、それは「反キリスト」になるのであり、正しい信仰ではありません。しかと、受け止めたいことです。
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