「子たちよ」という呼びかけは、キリスト者全員に対する呼びかけです(14節の「子供たちよ」も、使われている字は違いますが、すべてのキリスト者に向けられています)。この言葉をヨハネが口にしたとき、自分自身の若いときのことを思い起こしたでしょう。主イエスが十字架につけられて殺されました。その主が復活したという知らせが届きましたが、ヨハネもそれを信じることができず、他の何人かの弟子たちとガリラヤに帰り元の仕事である漁師をしていました。ある日、一晩中漁をしましたが不漁だった。失意の中にあった弟子たちに復活の主が現れます。夜明け頃、主は岸辺に立っておられましたが、主の復活への不信仰の故でしょう、弟子たちにはその方が主イエスだとはわかりませんでした。その時、主イエスが語りかけます、「子たちよ」と(ヨハネ21:5)。
イエス様の十字架の死を前にして、主を見限り逃げただけではなく、そのイエス様の復活を信じようともしなかった弟子たちに向かって、主は不信仰な者よと叱責し、罵るのでもありません。まったく逆に「子たちよ」と仰せになるのです。そのように仰せになったということは、「あなたがたの罪は赦されている」(12節)ということです。更に言えば、神はあなたがたの不信仰や罪にもかかわらず、なお、あなたがたの父として臨んでくださっているということです(14節2行目「あなたがたが御父を知っている」を参照)。そういう恵みの事実を伝えているのです。
同じことが、わたしたちにも起こっています。この後、「父たちよ(母も入れた年配者のこと)」、「若者たちよ」と呼びかけられています。要するに、すべてのキリスト者が、同じ主にある恵みの事実のもとにいるのです。ですから、共に、その主にある恵みの事実に立つのです。
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