あなたを生かす聖書の言葉

2018年7月22日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

全世界の罪を償うために  

 聖書「この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(Tヨハネ22)

神は、わたしたちが「罪を犯さないようになるため」(21)に、「御子イエスの血によってあらゆる罪から清め」(17)てくださいました。しかし、わたしたちはなお罪を重ねるのです。かつては罪に対する神の怒りを宥(ナダ)めるために、祭司により動物が捧げられていましたが、今やわたしたちの罪の赦しのために、御子が供え物として十字架にかかってくださったのです。更には、その罪の赦しを確実にしてくださるために、御子は今でもわたしたちの弁護者(2:1) として、共にいまし給うのです。

御子は、本来は、祭司のように供え物を捧げる側の人でした。否、もっと言えば、その供え物を捧げられる側のお方でした。しかし、その御子ご自身が、繰り返し罪を重ね罪の贖いに与る資格などないようなわたしたちのために、御自身を神への「宥めの供え物」となってくださったのです。更には弁護者ともなってくださり、いつも共にいましてくださるのです。そのことだけでも、主の御愛の深さ、慈愛と寛容を知ることができます。

しかし、それだけではありません。この方こそ「わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえ」となり給うのです。ここで「全世界」と言われている「世」は、初めから御子を受け入れることはしませんでした(ヨハネ1:11)。しかし、その者のたちの罪の贖いのためにも、御子はご自身を捧げ、また弁護者として臨んでくださっているのです。わたしたちは、ここに神の「寛宏慈愛の心を」(熊野義孝)見ることができます。神の愛は罪に満ちた世界のために御子を賜い、その愛の光を闇に向かって惜しみなく放射するほど、広大深遠なのです。わたしたちは、それほどの愛の内にいることに感謝し御名を称えるほかないのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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