あなたを生かす聖書の言葉

2017年7月9日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

信仰への招き  

 聖書「十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。(マルコ 16:14)

マルコ169以下を読みますと、主イエスの復活についての証言を聞いても信じる者がなかったということが、強調されています(11節、13節参照)。主イエスは「その不信仰とかたくなな心をおとがめになった」のです。この「とがめる」という字は、主イエスと一緒に十字架につけられた内の一人が主イエスのことを「ののしった」(ルカ2339)とありますが、その字と同じ字です。しかしそれは、主イエスが御自身の復活を信じない人を罵倒したということではないでしょう。主イエスは、トマスに「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と勧めましたが、この「とがめた」というのも、その勧めと同様、復活信仰に生きることへの強い招きの言葉なのです。

勿論、そうは言っても、主イエスの復活が事実であったということを信じさえすれば、それで良いのではありません。そもそも、主イエスは、肉の目で見ることができるような仕方で、わたしたちに臨まれているのではないのです。12節には「イエスは別の姿で御自身を現された」とあります。この「別の姿」というのは、御言葉において、ということです。主イエスは、語られる御言葉である説教と見える御言葉である聖礼典において、ここにご臨在くださっているのです。実際、ここでは「食事をしているとき、イエスは現れた」とあるのです。この食事とは単なる食事ではなく、何よりも聖餐を示していると言って良いでしょう。語られた御言葉に聞き、見える御言葉であるパンと杯に与ることによって、わたしたちは今も生きて働き給うて、教会の頭として臨み給う主を知ることができるのです。その復活の主への信仰を新たにして、わたしたちも、復活の主を明らかに示す教会を建てるために仕えるのです。それが復活信仰に生きる道なのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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