あなたを生かす聖書の言葉

2017年5月7日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

迫られている選択  

 聖書「「あの者は、どうしてほしいのか」。…群衆は…叫んだ。「十字架につけろ。」(マルコ 15:12〜13)

 当時、「祭りの度毎に…人々が願い出る囚人を一人釈放」するという慣例があったのです。そこで名前が挙がったのはバラバです。彼は「暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒」(7)でした。群衆はそのバラバを釈放するよう求めたのです。そして主イエスについては「十字架につけろ」と繰り返し叫んだのです。人々はバラバを選んだのです。

バラバについてはほとんど何も分かっていませんが、興味深いのはその名前です。バラバというのは「バル・アバ」から来たのだろうと言われています。「バル」は子、「アバ」は父という意味です。ですから、バラバは「父の子」という意味になります。そしてそれは、「時代の寵児」(ヒーロー)を意味する慣用句として使われていたとも言われています。言うまでもないことですが、わたしたちにとって主イエスこそが父なる神の独り子であり、真の「父の子」、真の「バル・アバ」です。しかし、人々はその真の父の子ではなく、時代の寵児、ヒーローと言われていたバラバの方を選び取ったのです。そして、主イエスは「十字架につけろ」と叫び続け、見捨てたのです。それは、言い方を換えれば、目に見える仕方が自分たちに満足を与えてくれる方を選んだということです。神が喜び給う道ではなく、人々が喜ぶ方を選び取ったのです。それは、いつの時代の人々も、そして勿論わたしたちも、しばしばしていることなのです。

主イエスは、自分たちの益や喜びを主にする方を選び取るような者たちのために、またそういう罪を犯してしまうわたしたちのために十字架におかかりになったのです。その主の十字架による罪の贖いがあればこそ、わたしたちは御前に生きる者とされているのです。ですから、その主の恵みに立ち、主が喜び給うことを願って御名を崇めて歩んでいくのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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