あなたを生かす聖書の言葉

2017年4月23日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

わたしがそれである  

 聖書「そうです。あなたたちは人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」(マルコ1462)

上記の言葉は、大祭司の「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という質問に答えて、イエス様が仰せになったものです。その言葉の内の「そうです」というのは、口語訳聖書が「わたしがそれである」と訳していたように、本来、そう訳すべき字です。英語で言えば、I amということになりますが、その言い方は、旧約聖書では、神がご自身を示すときにお使いになった言い方なのです。それを主イエスが仰せになったということは、主イエスはご自分こそ神であると仰せになっているということです。それに続けて「あなたたちは人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」とあるのも、主イエスご自身が神であることを言っている言葉なのです。

この言葉を仰せになったとき、人々は主イエスを十字架にかけることを決めようとしていました。実際、主イエスは十字架にかかることになったのです。主イエスは真の神であるにもかかわらず、十字架にかけられたのです。そうすることによって、主イエスは、わたしたちの罪の贖いを果たしてくださり、御前に罪赦された義なる者として立つことができるようにしてくださったのです。そのためにこそ、真の神である主イエスは、十字架の低きにまで降ってくださったのです。

 そのことを覚えれば、今度はわたしたちが御前に遜り、小さくなって、その主による救いを感謝をもって受け入れていくのです。自分を小さくするということは、単に自分を偉そうにしないとか、傲慢にならないというだけのことではありません。「われわれの生来の傾向は、すべて霊的な事柄に徹頭徹尾さからっている」(カルヴァン)ということを認めて、そのような自分のために十字架にかかってくださった恵みの主を覚え、またその主を賛美することです。今後も、そのような賛美をもって歩んで参りましょう。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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