主イエスは、「すべての人に言う」、「目を覚ましていなさい」と仰せになっています。そのように主イエスは、わたしたちに目を覚ましていることをお勧めになっているのです。そのことを勧めるに際して、主イエスは「家を後に旅に出る人」に関する譬をお話になります。そして「だから目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころが、明け方か、あなたがたに分からないからである」とおっしゃっているのです。これを読むと分かります。主イエスが目を覚ましていなさいということで仰せになりたいことは、いつか主人が帰ってくる時がある、そのことは確かであるので、そのことに心を寄せなさいということです。
勿論、その「旅に出る人」とか「主人」とは、主イエス御自身のことです。主イエスはこのあと十字架につけられ殺されますが三日目に甦らされて、その後、天に挙げられるのです。しかし、主イエスは、御自身が十字架と復活の出来事によって成し遂げた救いを完成してくださるために、終わりの時に再び来たり給うのです。その主キリストに心を寄せ、思いを注ぐのです
それは、時間的な意味での終わりの時に心を寄せるということだけではありません。もっと大事なことは、その終末時に主の救いが実現し、このわたしも主によって受け入れていただけるということを信頼すればこそ、今のこの時、望みと喜びをもって生きるということです。この譬で、主人は僕たちに「仕事を割り当て」て旅に出たと記されています。その字は「権能を委ねる」という意味です。主イエスは、わたしたちにも主イエス・キリストを証しする権能を与えてくださっているのです。そのことから言えば、救いの完成を賜う主が確かに来たり給うことを覚え、今は困難なことがあっても、主にある救いの確かさを喜び、主を高く掲げて歩むのです。
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