あなたを生かす聖書の言葉

2016年12月4日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

み言葉こそ滅びない

 聖書「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

(マルコ 133031)

このマルコ福音書13章は、小黙示録と呼ばれます。黙示文学では、終わりの時のことを象徴的言語や超人間的言語で、つまり隠された仕方で語っています。その終わりの時というのは、通常は、裁きの時と考えられています。実際、マルコ13章にも戦争や地震、飢饉など、滅びを思わせる記述があり、今日の聖句にも「天地は滅びる」という言葉があるのです。

主イエスはその終わりの時が近いことを言うために、ここでいちじくの木を引き合いに出して「枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる」(28)とおっしゃっています。終わりの時が滅びの時だとすれば、「枝が固くなり、葉が枯れて落ちたら、冬が近づいたことが分かる」という言い方の方が似合っているでしょう。しかし、主イエスは、その終わりの時が近いことを言う時、夏の到来に、即ちいちじくの実が成るときになぞらえているのです。主イエスにとっては、終わりの時はすべてが枯れ滅びる冬の到来でなく、実を得ることができるような収穫の時なのです。主イエスはその実りのように、終わりの時にわたしたちに救いの完成をもたらしてくださるのです。救いの完成という実りであり、神の国の到来という実りを成就してくださるのです。

その神の国の到来、救いの成就を主イエスは、ご自身が十字架にかかることによって成し遂げてくださいました。それなら、その十字架の主の言葉にこそ、わたしたちは聞き従っていくのです。すべてのものは過ぎ行くでしょう。しかし、御言葉だけは過ぎ行かず、永遠なのです。とこしえに亘って、わたしたちの救いの確かさを示し続け、また保証し続けてくださるのです。ですから、その過ぎ行くことのない主の御言葉にこそ聞き続ける信仰生活を送っていくのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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