マルコ13:14〜27では、「選ばれた人たち」という言葉が三回繰り返されています(20節、22節、27節)。それらの者たちには、神に選ばれるに値する何かがあった訳ではありません。何の資格も功もなかったのです。ただ神の恵みの故に選ばれたのです。それは、わたしたちのことでもあります。わたしたちも神の自由な恵みによって選びに与り、救いのご計画の内に入れていただいているのです。そして、神はその救いのご計画を完成してくださいます。上記聖句にあるように、主なる神が、人の子であるキリストにおいて、「地の果てから天の果てまで、…選ばれた人たちを四方から呼び集め」てくださり、一つの群れ、神の国の一員、更に言えば天の教会の一員としてくださるのです。そういう主のものとしてくださるのです。
選ばれた者たちに、創造の初めから今までなく、今度もないような苦難がふりかかることがあります(19節)。しかも、それが長く続くこともあるのです(20節)。偽預言者、偽キリストが出現して我々を惑わすということもあります(22節)。しかし、そういう中にあっても、主なる神はその苦難の時を縮めてくださって、支え守り給うてくださるのです。そのような神の御守りに値しない者です。御名を汚し、主の背を向け、呟き不平を言って主を試みることをするような者だからです。しかし、そういうわたしたちですが、主は御心を変えることなく、ご自身の救いのご計画を成就してくださるのです。現に御子において、その十字架において罪を贖ってくださって、わたしたちを主のものとしてくださっているのです。
主の十字架による罪の贖いという恵みの御業を保ち続けてくださっているという神の摂理の御業への信頼を新たにし、また深くもして、主に従う歩みを変わることなくなして参りたいものです。
|