あなたを生かす聖書の言葉

2016年10月2日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

「献身の生活」

 聖書「この人は乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費全部を入れた。」(マルコ 1244)

上記の言葉を読むとき、この女性は貧しい生活をしていたが、その貧しく乏しい中から、辛うじてレプトン銅貨二枚を献げたということだろう、と思うかもしれません。しかし、この「乏しい」と訳されている字は、「欠乏」そのものを意味する字です。このやもめは乏しいけれども、それでもいくらかはあって、その中から献げたということではないのです。彼女は何もない、ゼロなのです。そして更に「生活費」と訳されている字です。そう訳しても全く問題はないのですが、これは、生活そのもの、人生、自分の生涯という意味でもあるのです。ですから、彼女は自分の命、自分の一生を献げたのです。何もありません。だから、自分自身そのものを御前に置くしかなかったのです。そのように自分の生を、命を、主なる神に信頼して委ねたのですし、そうするほかなかったのです。

わたしたちも同じです。わたしたちに何かあるでしょうか。経済的にはこの女性よりは増しもしれません。しかし、堂々と御前に立てるのでしょうか。胸を張って、わたしはこれだけ聖なるものを、あなたが喜び給うものを献げることができますし、献げていますと言えるのでしょうか。勿論、否でしょう。わたしたちは、詩編86の言葉を借りて言えば、「わたしは貧しく、身をかがめています。わたしの魂をお守りください、わたしはあなたの慈しみに生きる者。…わたしはあなたに依り頼む者。主よ、憐れんでください」というほかないのです。

わたしたちにも何も無いのです。罪の故に裁かれるほかないのです。ですから、最後まで持っていたレプトン銅貨二枚を全部、何も残さずに献げるほかないのです。罪も咎もあるままの自分を、そのまま主に献げるのです。主に委ね、御業のためにと言って、御前に自分自身を差し出すのです。 

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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