あなたを生かす聖書の言葉

2016年8月7日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

「生きている者の神」  

 聖書「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』…。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」

(マルコ 122627)

『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』。これは、御自身がどういう神であるかを示そうとして、主なる神がモーセに語った言葉です(出エジプト3615)。モーセが生きていた時代とアブラハム、イサク、ヤコブが生きていた時代との間は、一般的に言われていることで言えば、700年ほどの隔たりがあります。ですから、モーセにこの言葉が語られたとき、アブラハムもイサクもヤコブもとうの昔に死んでいます。しかし、主なる神は、『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であった』と過去形で言わず、「ある」と現在形で語っているのです。ということは、彼らは肉体的には死んでしまってこの世にはいませんが、神との関係においては今も生きているということを示しています。神は生きている者の神なのです。

「死は、世界と人間に対する関係の変化であって、神に対する関係の変化ではない」と語っている人がいます。死によって、わたしたちとこの世、或いは他の人間との関係は変化しても、わたしたちと神さまとの関係は変わらないのです。主イエスがわたしたちのために十字架にかかって罪の贖いをなし、更にはその死者の中から復活して、御前に生きる命を勝ち取って与えてくださったのですから、その恵みの出来事のゆえに神との関係は変わることなく、わたしたちは、たとえ死んでも御前では生きるのです。

『アブラハムの神…である』という「ある」は現在形だと言いましたが、厳密にいうと、過去、現在、将来を含む現在形で、永遠を表すということです。主なる神は永遠に変わることなく神として臨み続けてくださり、わたしたちを御前で生きている者とし続けてくださるのです。そのことを覚えて感謝し、これからも、わたしたちは、変わることなく生きている者の神をこそ神として賛美し続けるのです。

 

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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