あなたを生かす聖書の言葉

2016年6月5日(投稿)・主日礼拝説教(要旨)

「主が喜ばれる実を結ぶ」

 聖書「イエスは…『今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように』と言われた。」(マルコ 1014)

主イエスが葉は茂っているが実の成っていないいちじくの木に向かって、上記のようにお話になったのは、実は、いちじくが実をつける時期のことではなかったのです。13節の最後に「いちじくの季節ではなかったからである」という断り書きがある通りです。実がなる時期なのに実をつけていないというのであればともかく、その季節ではないのに実をつけていないと言って呪うということは、いかがなものかと思うのです。主イエスの意図は何か、と問わずにおれません。

旧約聖書では、イスラエルの民がいちじくの木に例えられることがありました。ここでも同じでしょう。主イエスはここで、神の民イスラエルが御前に実を結んでいないことを問題にしているのです。具体的に言えば、彼らの神殿礼拝です。預言者ホセアは「わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」(66)と言いましたが、イスラエルには立派な神殿があり十分ないけにえも献げられていました。つまり、外目にはたくさんの葉が茂っていました。しかし、主なる神を心からの愛をもって礼拝することがなされていない、つまり、神が喜び給う実を結んでいなかった、主イエスはそれを問題にしているのです。

冒頭の言葉は、「次の機会にこの木が実を結ぶことがあっても、わたしは間もなく世を去るので、食べる機会がない」ということか、「次に実を結ぶ前に世の終わりが来るので、この木から実を食べる人はいない」ということか、どちらかの意味が込められていると言われます。いずれにせよ、時は迫っているのです。今、主が喜び給う礼拝という実をつけているかどうかが、問われているのです。それは、わたしたちへの問いかけでもあるでしょう。いつも心からなる主への愛をもって、礼拝を捧げて参りましょう。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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