相継ぐ病気や経済的貧しさが神の祝福だと思う人は少ないでしょう。そういうことが続くと、これでも神は恵みをもって臨んでくださっているのかと呟くでしょう。皆、経済的なゆとりや健康は神の祝福だと思っているのです。しかし、主はお仰せになる、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と。弟子たちが「それでは、だれが救われるのだろうか」と驚いて言ったのも、肯けなくはないのです。
しかし、救いは神の恵みによるのです。わたしたちの側にある経済力とか健康、高邁な人間性とか道徳家であるということとは無関係なのです。単純に恵みによるのです。「事柄は極めて単純である。…わたしたちが、恩寵を――それはとりもなおさず、イエス・キリストの御支配であるが――真に、真理たらしめることである」(バルト)と言われている通りです。わたしたちは恵みによってだけ、神の国に入り、神の御支配に与るのです。神の恩寵によってこそ救われるのです。必要なことは、その恵みによる救いの事実を、そのままアァメンと言って受け入れることです。それをこそ、真に、真理であると認めて、信じ受け入れるのです。
主なる神は、わたしたちがまだ神を愛さなかった時から、わたしたちを既に愛してくださったのです。わたしたちがまだ神を知らなかった時、既にわたしたちを知っておられ、わたしたちがまだ神を呼び求める前に、既にわたしたちの名を呼んでくださっていたのです。わたしたちが、まだ罪人であったとき、まだ神に敵対したままであったとき、既に愛を示され、キリストの血によって罪を贖い、義を勝ち取ってくださっていたのです。そうであれば、わたしたちはその恵みの事実を、感謝と喜びをもって「然り」と言って受け入れ、その恵みに委ねて歩むのです。
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