「あなたに欠けているものが一つある」と主は仰せになります。この一つとは、それがないと建物全体を組み合わせることができなくなる「隅のかしら石」のように、それがないためにすべてが無意味になってしまうような一つのことです。では、その一つとは何でしょうか。
主イエスは、この金持ちの男の「善い先生」という呼びかけに対して、「神おひとりのほかに、善い者はいない」と仰せになっています。この主の御言葉は、十戒の序言を思い起こさせると言っている人がいます。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである」(出エジプト20:2,口語訳)という言葉です。主なる神は、イスラエルの民の《主》として臨んでくださって、エジプトの地、奴隷の家から導き出してくださったのです。主は、何の取り柄もない、奴隷に過ぎなかった民に、豊かな恵みをもって関わってくださったのです。その恵みの事実を覚えて受け入れ、その主に従っていくことこそがなくてはならない一つのことなのです。この金持ちは、この後で自分が為してきた律法の業の数々を数え上げていますが、必要なことは、自分の業を数えることではなくて、主の恵みによって生かされていることを覚えることです。そのことを知って感謝し、主への賛美に生きるのです。それが新しい命への突破口になるのです。
「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(21節)とあります。ここでは実は、「彼を見つめ、彼を慈しみ、彼に言われた」というふうに、「彼」という字が三度も繰り返されています。主イエスはそれほどこの人に心に留め、愛してくださっていたのです。その同じ愛がわたしたちにも注がれていることを覚えて、喜んで主に従うのです。それが必要な一つのことなのです。
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