五山送り火
お盆に迎えた先祖の霊を再び冥土へ送る伝統行事。
- 大文字 大文字山(如意ヶ嶽)
平安時代、如意ゲ嶽のふもとにあった浄土寺が大火に見舞われた。その時、本尊の阿弥陀如来が山上に飛翔し、光明を放った。この出来事にちなみ、光明をまねて火を用い病魔退散、五穀豊穣、国家安泰を祈願するようになった。やがて弘法大師さんが火の形を大に改めたと言われる。
場所 左京区浄土寺七廻り町1
火床数 75基
点火資材 薪 600束 松葉 100束 麦藁 100束
大きさ 一画 80m 二画 160m 三画120m
点火時間 20:00 出町柳、鴨川周辺
- 妙法 妙 松ヶ崎西山(万灯籠山) 法 松ヶ崎東山(大黒天山)
鎌倉時代末期の永仁2年(1294年)日像上人が天台宗の歓喜寺を訪れて法華経の説法を行った。すると、その寺の住職はじめ村の人々はえらく感心し、そろって日蓮宗に帰依したことによる。
所在地 左京区松ヶ崎西山(妙) 東山(法)
火床数 103基(妙) 63基(法)
点火資材 薪 400束 松葉 170束
大きさ 妙 縦横最長100m 法 縦横最長70m
点火時間 20:10 北山通り ノートルダム女子大から高野橋付近
- 船形 船 西加茂船山
平安時代、承和14年(848年)唐への留学の帰り、西方寺の開祖の円仁が乗った船が凄まじい嵐に襲われた。しかし、円仁が六字の名号を書いて海に投げ入れたところ、風雨が治まり無事に帰国できたという故事に基づいて舟形の送り火が始まった。
はじめ村の人々はえらく感心し、そろって日蓮宗に帰依したことによる。
所在地 北区西賀茂船山
火床数 79基
点火資材 薪 400束 松葉 130束
大きさ 縦 130m 横 200m
点火時間 20:15 北山通り(北山大橋以西)
- 左大文字 大北山
ある送り火の夜、如意ヶ嶽の大文字の火が室町御所の池に映った。この様子を見た町の人が京の町が東と西の両側からお守りいただけるようにと、大北山に左大文字の送り火を始めた。
場所 北区大北山鏡石町1-1
火床数 53基
点火資材 薪 350束 護摩木 3000本
大きさ 一画 48m 二画 68m 三画59m
点火時間 20:15 西大路通り(円町から金閣寺付近)
- 鳥居形 嵯峨仙翁寺山(曼陀羅山)
平安時代京の都に、はやり病がはびこり、さらに飢饉が続いて人々を苦しめた。この災いを案じた弘法大師は、死者の霊を弔うために嵯峨野の鳥居本に三智山如来寺を建て、石仏を千躰きざんで開眼供養を行った。この時に点火したのが鳥居形の始まりと言われる。
場所 右京区嵯峨鳥居本町一華表町
火床数 108基
点火資材 薪 108束
大きさ 縦 76m 横 72m
点火時間 20:20 渡月橋 広沢の池
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