≪紅葉賀≫もみじのが

朱雀院への行幸に参列できない懐妊中の藤壺のために
清涼殿の庭で試楽が行われました。
源氏と頭の中将が舞う「青海波」は、すばらしく
この世のものとは思えぬ美しさだったそうです。

それから宿下がりされた藤壺の宮に皇子が御生まれになりました。
源氏とそっくりのかわいい赤ちゃん(実は源氏との間の子)に、
桐壺帝はたいへん喜びました。

そんな姿を見て、藤壺と源氏は桐壺院に申し訳なく
よりいっそうの罪の深さを感じるのでした。

源氏は、あの少女(若紫)といると心が癒され
二条院にいることが多くなりました。
もちろん、正妻の葵の上への気持ちは遠のくばかりです。

≪花 宴≫はなのえん

紫宸殿での花の宴にて、源氏は「春」の詩を読み、
また、東宮に望まれ舞いを舞いました。
誰もがその美しい姿に魅入られる中で、
弘徽殿の女御の妹の姫もまたその一人でした。

その夜、中宮の姿を探していた源氏は
「朧月夜に似るものぞなき」と詩を歌う美しい女性と契りました。
夜明けが近づき皆が起きだそうとする頃、
名も知らぬその女性と扇だけを取りかえて、
あわてて立ち去りました。

そして、ある右大臣家の”藤の宴”に招かれた源氏は
その夜、あの一夜の扇を交わした美しい女性を探しに
姫たちがいる辺りで「扇をとられてからきめを見る」と
御簾越しに詩を読みました。そして歌を返してきた
あの夜の声の女性を見つけました。
二人は激しい情熱を内に秘めた者どうし
お互いひかれあうのでした。

しかしその姫は(朧月夜)、あの弘徽殿女御の妹でした。
そして近く東宮に入内することに決まっていたのでした。

≪葵≫あおい

源氏の父、桐壺帝が息子の朱雀帝へ譲位されたため
伊勢の斎宮も交代になり、六条御息所と前東宮との姫
(のちに秋好中宮)に決まりました。

その葵祭りの勅使を勤める源氏をひと目見ようと、
宮中も町も皆大騒ぎです。

葵祭りの日、見物に行った正妻葵の上の者達と
恋人の六条御息所の者たちが
見物の車を立てる場所のとりあいになりました。
「愛人のくせに・・」とたくさんの人の前で
罵られた六条御息所はたいへん傷つき自分をあわれむのでした。

そして懐妊中だった源氏の正妻葵の上の出産の時
六条御息所は生霊となりとりつきました。
葵の上は苦しみましたが、元気な男の子(夕霧)を産んだのです。
それからは葵の上も源氏に素直に心を開けるようになり
源氏も葵の上とうまくやっていこうと決心するのでした。
しかしその幸せもつかの間で、葵の上は物の怪の仕業により
突然息耐えてしまうのです。

深い悲しみの中で源氏は四十九日を終え、
久しぶりに二条院へ戻りました。
そこには見ちがえるほどに美しく成長した若紫(紫の上)が
出迎えました。そしてその夜、源氏は若紫と契りました。
そして若紫を正妻に迎えるのでした。

≪賢 木≫さかき

源氏は、斎宮の母として一緒に伊勢へ発たれる為
嵯峨の野々宮に来ている六条御息所に会いに行きました。
仲の良かった頃を思い出し、別れを惜しみます。

一方、桐壺院は藤壺の子(春宮)の行く末を心配し
源氏に将来を託しお亡くなりになりました。

源氏は藤壺への思いが抑えきれず無我夢中で藤壺を訪ねます。
しかし源氏と春宮の為、そして源氏への気持ちを断ち切る為
藤壺宮は突然出家(尼になられる事)してしまいます。

桐壺帝お亡くなりの後、権力を思いのままにした右大臣一族、
そして弘徽殿の大后はかつてから源氏と付き合っていた
大后の妹の朧月夜との密会を知り、怒りが増し
その事を口実に源氏を謀叛の罪におとしいれようとするのです。

≪花散里≫はなちるさと

かつて桐壺院の女御であった麗景殿の女御は
皇子もおられず、院亡き後は妹の三の君(花散里)と一緒に
ひっそりとお暮らしになっていました。

以前、宮中で花散里と知り合いになっていた源氏は
久しぶりに訪れる事にしました。

途中、中川のほとりで琴の音色に誘われました。
そこは昔通っていた女性の家でした。
声を掛けてみましたが右大臣の勢力が強く
源氏の風当たりが悪い今、皆冷たく、遠ざけ
その女性も源氏とあう事を断りました。

しかし、麗景殿の女御と花散里はあたたかく源氏を迎え入れ
源氏の心をやさしく癒してあげるのでした。