八坂神社は「祇園さん」ともいい、古くから京都の庶民の崇敬を集めるだけでなく、門前には多数の茶屋が建ち並んで遊興地域としても大いに繁盛してきた。こうした事情から「祇園さん」にちなむ不思議は多く、庶民の口から口へと時代を超えて伝えられてきた。不思議の数が多いので、全部を取り上げるわけにはいかないが、面白いものをいくつか取り上げてみよう。円山公園では、枝垂桜や慈円塔などを取り上げた。

西楼門 |
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①西楼門(八坂神社)
八坂神社の正門は本殿の南にある楼門(南楼門)である。東大路四条に面していて駕のような形をした西楼門は、古くは駕門ともいった。この楼門の建築時期は定かではないが、鎌倉時代初期の歌人である藤原俊成の歌に「霧のうちにまず面影にたつるかな西の御門の石のきざはし」(祇園百首)とあり、また、鎌倉時代末期の通史の『百練抄』にも「西大門」と見えるように、古くから存在したようだ。その後応仁の乱で焼失、明応六年(1497)に再建されたのが現在のものだ。左右両側に山廊の付属した優美な朱塗りの楼門は、文化財のとりわけ多い京都でも異彩を放っている。重要文化財。
なお、西楼門に関しては、目抜き通りの四条通りに面しているのに正門でない、雨垂れで窪まない、蜘蛛の巣が張らないといった七不思議がある。
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北向蛭子社 |
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③北向蛭子社(八坂神社)
疫神社から右手に進み、守札授与所の手前(西南)にある小社。祭神は事代主神。神社、寺院を問わず北向に建てないのが普通なのに、わざわざ北向に建てられている。俗に「えべっさん」と称され、福の神、商売繁盛の神として信仰されている。現社殿は正保三年(1646)の建築で、重要文化財。
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⑥竜穴(八坂神社)
本殿の下に底知れぬ深い井戸があって竜穴という。鎌倉時代に書かれた『釈日本紀』は竜宮へ通じているという。一説にこの井戸は、神泉苑・東寺灌頂院の神井とも繋がっているという。井戸の深さについて『都名所図会』は、「続古事談(1219。説話集)に曰く、祇園の宝殿の中には竜穴ありとなん。延久年間(1069~74)、梨本の座主(天台梶井御門主)その深さをはからんとせられければ、五十丈におよびてなほ底なしとぞ」とある。また、『山城名勝志』には、「保安四年(1123)山法師追捕せられけるに多く宝殿の中に逃げ入りたりける。その中に溝あり、それに落ち入りたりつるとぞいいける」とあり、竜穴の底知れなさ、不気味さを物語っている。
⑦忠盛燈籠(八坂神社)
本殿の東、大神宮と悪王子社との間、石柵を巡らした中にある。鎌倉末期の古作であるが、笠・火袋・竿は寄せ集めであるという。『平家物語』に平忠盛(平清盛の父)と燈籠との関りを伝える話が遺されており、それにちなんで名づけられたものという。その話の大略はこうである。永久年間(1113~1117)祇園のあたりに、白河上皇が寵愛した祇園女御が住んでおり、たびたびの行幸があった。頃は五月下旬、見通しの利かない五月雨さえ降って、まことに不気味な夜だった。女御の宿所近くの御堂のそばに、頭は銀の針を磨いたようにきらきら光り、両手に槌と光る物を持っている何者かが現れた。上皇は、これは恐ろしい鬼に違いないと思い、忠盛を召して、あの者を射殺すなり切り殺すなりせよと命じた。忠盛は、この者は狐か狸の類でさして獰猛な者ではなかろうと思い、その者を組み伏せた。その正体は、この御堂の雑用を勤める老法師であった。老法師は、燈籠に火を入れようとして、両手に油壺と火入れを持ち雨にぬれないように頭に小麦の藁を笠のように冠っていたので、火が反射してあたかも鬼のように見えたのである。事が判明すると、上皇は、忠盛の冷静沈着振りを褒め称え、その褒美として祇園女御をとらせたのである。 |
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忠盛燈籠 |
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⑫慈円塔(円山公園)
慈鎮和尚塔ともいう。吉水の井の傍らにあり、高さ約3メートルの宝塔である。塔身に多宝・釈迦二仏を浮き彫りにした簡素ながらも優美な塔で、鎌倉時代の作。重要文化財。『京羽二重織留』は「まくずがはらの詠歌はこの所にての事なりし」という。慈円(1155~1225)は、関白藤原忠通の子で関白九条兼実の弟に当たる。建久三年(1192)初めて天台座主となって以降、座主四度に及んだ。歌人としてもすぐれ、新古今和歌集などを始め勅撰和歌集に二百数十首が選ばれている。また、「愚管抄」の著者として思想史上に大きな足跡を残す。墓は西山善峯寺にある。
⑭祇園女御塚
『平家物語』で著名な祇園女御の塚は、円山音楽堂の東、双林寺の傍らにあったという。『京羽二重織留』に「東山双林寺の前にあり。今その所田畑となる。農民地を掘るときは、今に瓦石並びにいにしへ用いる所の假山の石時々出侍るなり」と記している。『都名所図会』では「祇園女御の旧跡は双林寺前の北にあり(東西八間、南北五間)。この地を耕しせんとすれば祟りありとぞ」という。今は、八坂神社南鳥居のすぐ南にある祇園寺の入口に祇園女御供養塔が立つ。
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