■洛陽第一の名所 『雍州府志』に「凡そ、当山四時の風景、筆舌の及ぶ所に非ず。故に、遊人、常に絡繹、跡を絶たず。特に桜花の爛漫、瀑泉の清冷、これ洛陽の一奇観にして世人の口実なり」とあるように、絶景の地として四季を通じ多数の遊客を集めた。また、『都名所図会』に「当山は昔より桜の名所にして春も弥生の頃は花咲き一入かをりて、さながら雲と見れば雪と散りて飄客のこころを動かし、盃の数そひて歌よみ詩つくりて、たはめる枝々に短尺むすびつけしも春色の風流なり」と記されているように、洛陽第一の名所であった。
■歴史 北法相宗の総本山。山号は音羽山。世界文化遺産。本尊は十一面千手観音。「清水寺縁起絵巻」によると、鹿狩りにきた坂上田村麻呂(758-811。平安初期の武将。蝦夷との戦いで功をあげ、797年征夷大将軍)がこの地で修業中の僧延鎮に殺生を戒められ、延暦十八年(798)夫人とともに千手観音を造り、一堂を建てたのが始まりと伝える。弘仁元年(810)嵯峨天皇から「北観音寺」の宸筆を賜って鎮護国家の道場となった。法相宗の寺院として興福寺に属したため、延暦寺との抗争でたびたび焼亡した。北法相宗に改宗したのは昭和四十年(1965)。
■見どころ 懸崖造りの本堂は寛永十年(1633)、東福門院和子の発願、徳川家光の寄進で再建。欄干の擬宝珠に寛永十年の銘がある。国宝。「清水の舞台」として名高い。舞台の高さは約13メートル。西国三十三所観音霊場の第十六番札所でもある。仁王門、馬駐、鐘楼、西門、三重塔、経堂、田村堂、朝倉堂、轟門、子安塔などは重要文化財。
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