⑱送り火(大文字山)
・由来 大文字山で毎年八月十六日に行われる盂蘭盆会の行事。松明の火を空に投げて霊を見送る風習に基づくもので、仏教が庶民に浸透する室町期以降に起こったという。文献上の初見は万治元年(1658)の「洛陽名所集」で「そのかみより七月十六日の夜、四方の山に松明にて妙法大の三字。すなわち、大の字は如意峰にとぼせり。青蓮院御門主の御筆なりとぞ聞こえき」とある。
大文字山の「大」は、第一区画80メートル、第二区画160メートル、第三区画120メートル、火床数75。斜面に大谷石を設置、松割木を井桁に積み重ねてその間に松葉を入れる。午後七時、山上の弘法大師堂で般若心経をあげ、仏前の酒で心身を清めて親火を燈明から移し、八時に点火。
『雍州府志』に「毎年七月十六日の晩、この浄土寺村並びに慈照寺村の人、四百有余の松火をもつて、大の字を浄土寺山上に点ず。俗に施火と称す。あるいは、聖霊の送火といふ。これ皆、施餓鬼の義にして、盂蘭盆会の一事なり。伝へいふ、弘法大師の筆画なりと。古へ、浄土寺の本尊、春日神作の弥陀の像、一時、光を放つ。弘法大師これを拝して曰く、見聞の輩、すべからく往生極楽の縁となすべしと。これによりて、この光を咒して大の字となし、方十丈の筆画を浄土寺山に存す。毎年七月六日、村人各々山上に登り、松を伐る。これを割きて、同じく十六日に至りて、各々の門外に曝す。もし、誤りて、この薪木をもつて他事に用ゆるときは、その一家、あるいは痢を患ひ、疫を苦しむ。思ふに、かくの如きの霊験にあらずんば、すなはち、八百年来、あに不退転に及ばんや」とある。銀閣寺に残る「大文字記」には子義尚の早世を悼んだ義政が、横川景三が揮毫した字形に火床を並べて点火したのが始まりという。現在、行事は大文字山麓の旧浄土寺村の銀閣寺町など五か町が作る大文字保存会が維持。
・ご利益 点火に用いる護摩木に氏名・年齢・性別を書いて志納すると厄除けになるといい、また水や酒の入った丸い盆に送り火を写して飲むと中風にならないとされる。燃え残りを白地に包んで水引で縛り、戸口につるすと厄病除け・盗難除けになるという。
・火床からの景観 銀閣寺の背後にある火床には約40分の行程である。すこし厳しい山行であるが、火床に到着すると、それまでの疲れが消し飛んでしまうことは請け合いだ。そこに展開するのは、愛宕山など京都市内を取り巻く山々、京都御苑、上賀茂・下鴨など翠なす森の数々、碁盤目にどこまでも広がる京都市内。おそらくは京都随一の見事な景観である。 |