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庫裏
アクセス |
JR京都駅中央口→市バス5系統(24分)南禅寺・永観堂道→永観堂(スタート、ゴール)
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■歴史 東山の山麓、南禅寺の北にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。正しくは無量寿院禅林寺。本尊は阿弥陀如来。空海の弟子真紹がこの地にあった藤原関雄の山荘を購入し、真言密教の道場にしたのが始まり。貞観五年(863)清和天皇から勅額を賜って、禅林寺となった。中興の祖である七世の永観(1033~1111)の時に、本尊を大日如来から阿弥陀如来とし、浄土念仏の道場とした。十七世浄音の時に真言宗から浄土宗西山派に改宗。
■見どころ 国宝の「山越阿弥陀図」(鎌倉時代)をはじめ、「当麻曼荼羅図」「阿弥陀二十五菩薩来迎図」など重要文化財の寺宝を多数所蔵。本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)は、永観が念仏の行道中に現れて「永観、おそし」と導いた姿から、「見返り阿弥陀」と呼ばれる。江戸期には四十八願寺の一つ。また、洛陽六阿弥陀巡りの一つでもある。
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不思議 |
①抜け雀
古方丈の孔雀の間の欄間には雀が描かれている。ところが、向って右端の欄間には五羽の雀が描かれているはずなのに、実際は四羽であり一羽少ない。余りに見事な出来栄えなので、一羽抜け出して飛び去ったと伝える。
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③火除けの阿弥陀如来
かつて伝法堂と呼ばれた瑞紫殿の阿弥陀如来坐像は、応仁の乱(応仁元年1467~文明九年1477)で諸堂が焼け落ちたとき、この像のみは右手が焦げたのみで焼け残ったという。寺伝では、弘法大師が火除けの願を立てて彫刻した霊像という。そこからこうした名が付いて、数百年たった現在でも火除けの信仰を集めている。
⑥木魚蛙
毎年四月下旬から五月にかけ、三鈷の松のある辺り一帯に棲んでいる蛙が鳴き声を出す。まるで木魚を叩くような音で鳴くが、誰もその姿を見たものはいないという。
⑦岩垣紅葉
臥龍廊や多宝塔付近の急斜面に生えている紅葉をいう。同寺が建立される前、この地に住んだ藤原関雄の有名な和歌にちなんでこの名がある。『都花月名所』に「厳檣丹楓 古へこの地は藤原関雄の別荘なり。和歌によつて名とす。
宮づかえ久しう、つかうまつらで山里にこもり侍りけるに読む。
おく山の岩垣紅葉散りぬべし照る日の光みる時なくて(古今和歌集)」とある。
⑧聖衆来迎の松
阿弥陀堂の傍らにあったと伝える。『菟芸泥赴』に「本堂の傍に聖衆来迎の松あり。永観説法の時、この松に弥陀如来影向ありしとなり。今は枯てなし」とある。山号の由来を示す伝承である。一説に、今も阿弥陀堂の右手にある松がそれという。 |
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聖衆来迎の松(右側) |
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江戸期の寺院で非公開のものはあったのだろうか。拝観に特別な手続きを必要とする寺院はあったのだろうか。また、拝観料を必要とする寺院はあったのだろうか。地誌を読む限りでは、こうした制限を設けている寺院は必ずしも多くない。それでも次の三寺院には拝観制限があった。
・永観堂:本尊見返り仏(永観堂の見返り阿弥陀)とて霊仏也。開帳料鳥目百文(『京内まいり』)。『京内まわり』が刊行された当時(1705年)の一文は、現在の10円ぐらいに相当すると考えられることから、百文は1000円ぐらいか。ちなみに現在同寺の拝観料は500円。
・妙法院:親王御門跡なり。みだりに内に入るべからず(『都名所車』ほか)。
・金閣寺:特別のつてがなければ見物でできなかったので、庶民はもとより、文人墨客の垂涎の的であった(『京内まいり』、『都名所車』など)。
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