○伏見稲荷大社
■お山めぐり 稲荷といえば何といっても「お山めぐり」である。本社から千本鳥居をくぐり、奥社参拝所、三つ辻、四つ辻、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を経て、また四つ辻、三つ辻に至る。三つ辻から左に折れて御産湯稲荷、八嶋ケ池を経て本社に戻る。一周一里の長丁場である。この間、無数の塚を横目に見、数十もの摂社に参拝しながら、ひらすら石段を登り降りする苦行である。『枕草子』に「稲荷に思ひおこしてまいりたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼるほどに、いささか苦しげもなく、おくれて来と見えたる者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとうらやまし」とある。宮廷暮らしの清少納言にとって稲荷山参拝は苦行であったのであろう。三の峰あたりは秋ともなれば、『雍州府志』に「御前渓は三つ峰の前の渓也。渓間楓樹多し。秋に至りて紅葉愛しむべし。所謂稲荷山の楓葉是なり」とか『都花月名所』に「三つ峰のほとりに楓樹多し。この山はいにしへよりもみじの名所にして古人の秀詠かずかずあり」とあるように、今でも紅葉の時期は素晴らしい。
■歴史 東山三十六峰の最南端に位置する稲荷山の西山麓にある。延喜式神名帳にその名がみえる式内社で、かつては官幣大社であった。祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神。全国に約三万ある稲荷神社の総本宮。和銅四年(711)秦伊呂具が稲荷山に五穀豊穣を祈って宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神の三神を創祀したという。『山城国風土記』逸文には、伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので、イナリの社名になったと伝える。天長四年(827)空海が東寺の鎮守神として稲荷神を祀り、歴代天皇の行幸とともに平安京の人々の崇敬を集めた。五条以南が氏子圏で、祇園社と平安京を二分した。
■見どころ 応仁の乱で焼亡した本殿は、明応八年(1499)再興。稲荷造(五間社流造)で重要文化財。仙洞御所にあったものを後水尾上皇から下賜されたという御茶屋(非公開)も重要文化財。
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