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洛南
伏見稲荷大社

        伏見稲荷大社本殿


アクセス
JR京都駅→奈良線稲荷駅(5分)→伏見稲荷大社
歩行距離等
●歩行距離:6キロ
●所要時間:3時間

○伏見稲荷大社 

■お山めぐり 稲荷といえば何といっても「お山めぐり」である。本社から千本鳥居をくぐり、奥社参拝所、三つ辻、四つ辻、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を経て、また四つ辻、三つ辻に至る。三つ辻から左に折れて御産湯稲荷、八嶋ケ池を経て本社に戻る。一周一里の長丁場である。この間、無数の塚を横目に見、数十もの摂社に参拝しながら、ひらすら石段を登り降りする苦行である。『枕草子』に「稲荷に思ひおこしてまいりたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼるほどに、いささか苦しげもなく、おくれて来と見えたる者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとうらやまし」とある。宮廷暮らしの清少納言にとって稲荷山参拝は苦行であったのであろう。三の峰あたりは秋ともなれば、『雍州府志』に「御前渓は三つ峰の前の渓也。渓間楓樹多し。秋に至りて紅葉愛しむべし。所謂稲荷山の楓葉是なり」とか『都花月名所』に「三つ峰のほとりに楓樹多し。この山はいにしへよりもみじの名所にして古人の秀詠かずかずあり」とあるように、今でも紅葉の時期は素晴らしい。

■歴史 東山三十六峰の最南端に位置する稲荷山の西山麓にある。延喜式神名帳にその名がみえる式内社で、かつては官幣大社であった。祭神は宇迦之(うかの)御魂(みたまの)大神(おおかみ)佐田彦(さだひこの)大神(おおかみ)大宮能売(おおみやのめの)大神(おおかみ)田中(たなかの)大神(おおかみ)(しの)大神(おおかみ)。全国に約三万ある稲荷神社の総本宮。和銅四年(711)(はたの)()()()が稲荷山に五穀豊穣を祈って宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神の三神を創祀したという。『山城国風土記』逸文には、伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛んで行き、そこに稲が生えたので、イナリの社名になったと伝える。天長四年(827)空海が東寺の鎮守神として稲荷神を祀り、歴代天皇の行幸とともに平安京の人々の崇敬を集めた。五条以南が氏子圏で、祇園社と平安京を二分した。

■見どころ 応仁の乱で焼亡した本殿は、明応八年(1499)再興。稲荷造(五間社流造)で重要文化財。仙洞御所にあったものを後水尾上皇から下賜されたという御茶屋(非公開)も重要文化財。

不思議


柚でんぼ

①お山の土

稲荷大神は五穀豊穣を司どる神であることから、「お山の土」を田畑に入れると五穀がよく実ったという。後に稲荷山の土で、「つぶつぶ」や「柚でんぼ」が作られ、それが伏見人形に発展したという。「つぶつぶ」は、土を丸めて銀色に塗った米粒大のもので、豊作祈願のため田畑に撒いたという。残念ながら、この風習は明治期になくなってしまった。「柚でんぼ」は、柚の形をした容器で、もとは神供に用いられたようだが、後に女の子のままごと用具の一つになった。「柚でんぼ」は、今でも郷土玩具として参道の土産店の片隅で売られている。『都名所図会』に「倉稲の縁によりて、土器・黍・粟等を土産とするなり」とある。



(しるし)の杉

稲荷山には、傘杉大明神、一本杉大明神、三本杉大明神、大杉大明神など、杉の木を祀っている所が少なくない。杉は稲荷の神木なのである。昔は、稲荷大神の鎮座ゆかりの初午の日に参詣して、杉を持ち帰り、自宅に植える。これを「験の杉」といい、持ち帰った根が付けば願い事は吉、根が付かねば凶という。『蜻蛉日記』に「稲荷山多くの歳ぞ越えにけり祈る験の杉をたのみて」とある。この風習は今日、守札所で杉の枝を授与する形で受け継がれている。

③千本鳥居
 本殿奥の右手から奥社奉拝所に向う参道にある。一周一里の「お山めぐり」の始まりである。そこには赤い鳥居が所狭しとばかりに無数に居並んでいる。これを千本鳥居といい、少し長いが、当社の説明を引用しておこう。「赤い鳥居といえば、すぐさま人々は「おいなりさん」を連想するほど、赤という色は人々の心情に深く染みとおっている。元来、稲荷山の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習。この「(あけ)」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもつ。その色は、また生命・大地・生産の力をもつて稲荷大神の「みたま」の働きとする強烈な信仰が宿っている。崇敬者が祈りと感謝の念を奥社参道に鳥居の奉納をもつて表そうとする信仰は、すでに江戸時代に興り今日の名所「千本鳥居」を形作っている。

千本鳥居


おもかる石

④おもかる石

奥社奉拝所の右奥の高さ1.4メートルほどの一対の石灯籠をいう。駒札に「灯籠の前で願い事を祈念して空輪()を持ち上げ、そのときに感じる重さが自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い重ければ叶わないとする試し石」とある。かなり重いので、高齢者や婦人には少し危険かも知れない。業の悪い人は持ち上げられないという俗説もある。



⑤新池(こだま池)

奥社奉拝所から三つ辻に至る参道の傍らにある池をいう。(こだま)()(いけ)ともいう。行方不明になった人の居場所を探す時、池に向って手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめるという。『拾遺都名所図会』に「谺池は、本社よりひがし五町ばかりにあり。谺の名詳らかならず」とある。池に突き出る形で熊鷹大神の拝所が設けられ、蝋燭の火が絶えない。冬は水鳥の天国となる。

(つるぎ)(いし)((かみなり)(いし))

 四つ辻と一ノ峰の中間にある御剣(みつるぎ)社のご神体をいう。『名所都鳥』に「雷石は、稲荷山御前の渓の北にあり。むかし異僧ここに有りて、力をもつて雷をこの石に縛つけしとなり。その異僧誰ともなし。案ずるに浄蔵貴所なるべし。旧記に、浄蔵ある時は稲荷山に住みて、神童を使ひて瓶の水を取すとあり」とある。祠の左手に「焼刃の水」という井戸がある。この井戸で、三条小鍛冶宗近が稲荷大神の助けを借り、名刀小狐丸を鍛えたという。この井戸は「宗近の井戸」ともいう。


剣石

焼刃の水


お塚

⑦無数のお塚

何某大明神と彫った石碑を「お塚」といい、お山一周一里の間、主として七神蹟地を中心に、無数の塚が夥しく建ち並んでいる。

当社では、お塚の由来を次のようにいう。平安京の人々は、二月初午の日に稲荷山に参詣すれば福がもらえると信じて、毎年足を運んだ。後世、明治至って七神蹟地が確定され、親塚が建立された。これを契機に、親塚の周辺に人々が「何某稲荷大明神」の神名を刻んだ「お塚」を奉納するようになった。これは、稲荷大神のご神徳に因んだ神名や家で祀っている大明神を稲荷山に祀りたいとする信仰心(お塚信仰)の表れであった。今日その数は数万を数える。

奴禰(ぬね)鳥居

二ノ峰と三ノ峰の間にある「間の峰」の荷田社にある石鳥居をいう。額束の両側に合掌状の破風(はふ)扠首束(さすつか)をはめた特異な形をしている。こんな形をした鳥居は、外には新京極にある錦天満宮内の日出稲荷しかない珍しいものという。


奴禰鳥居


御産場稲荷社

狐の穴

⑨御産場稲荷の蝋燭

三つ辻を左回りに降りた所にある。稲荷山は昔、狐の生息地であった。狐のお産は常に安産であることから、それにちなんで安産の神として建立されたという。神前に残る短い燃えさしの蝋燭を持ち帰り自宅でそれを灯すと、燃え尽きるまでに出産できるという。社壇下に一月から十二月まで十二個の小さな横穴があるが、これは狐が出入りするためのものという。

⑩社殿のない大八嶋社
 本殿の西にある玉山稲荷から北へ約100メートル、八嶋ケ池のほとりにある。大八嶋大神を祀る摂社の一つ。朱の玉垣で囲われた小さな森が社である。駒札に「この社は古来社殿がなく杜を朱の玉垣で囲い禁足地としている」とある。

大八嶋社




コラムその19 鳥居の話

鳥居は神社の門で古くは華表(とりい)とも鶏栖(とりい)とも書いた。鳥居の語源は定かではないが、一説では、天照大御神の岩戸隠れの際、困った神々が岩戸の前で常世の長鳴き鳥(鶏のこと)を鳴かせて岩戸を開こうとし、この鶏を鳴かせた止まり木に由来するものという。文献上では『源氏物語』が初見であるという。

 鳥居の様式は大別すると、在来型の神明鳥居と中国伝来の曲線式笠木を用いる島木鳥居がある。神明鳥居には、黒木鳥居・伊勢鳥居・鹿島鳥居などがあり、島木鳥居には、春日鳥居・八幡鳥居・明神鳥居などがあるが、何といっても明神鳥居が断然多い。上賀茂神社・下鴨神社の鳥居や伏見稲荷大社の千本鳥居も明神鳥居である。変わったところでは、唐破風鳥居・奴彌鳥居・三つ鳥居などがある。

伏見稲荷大社不思議探訪(イメージ)


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