○東福寺
■洛陽の奇観 近世の東福寺は、山林・門前の藤、思遠池の蓮、通天橋の紅葉の名所として名高かった。とりわけ通天橋の紅葉は洛陽の奇観として、庶民はもとより文人墨客にもてはやされた。なかでも、開山聖一国師の忌日の十月十六日頃には紅葉が盛りになって、弁当を持った見物客でごったがえした。今も昔と変わらず、通天橋下には見事な紅葉が幾重にも重なっている。→巻末絵図36(東福寺)
■歴史 東山連峰月輪山麓に位置し、東山区本町十五丁目にある。臨済宗東福寺派の大本山で山号は慧日山。本尊は釈迦如来。関白九条道家(1193~1252)が延応元年(1239)、九条家の菩提寺創建を発願して、藤原氏ゆかりの法性寺の跡地に仏殿を建立。寛元元年(1243)に円爾弁円(聖一国師)を開山に迎え、天台・真言・禅の三宗を兼修した。寺名は規模を東大寺に、教行を興福寺に倣って東福寺とした。仏殿の釈迦如来像は高さ15メートルにも及び、京の「新大仏寺」と称した。建武元年(1334)には京都五山の第三位、大伽藍を有する寺となり、俗に「東福寺の伽藍面」といわれた。
■見どころ 応仁の乱などで塔頭の大半を焼失したが、豊臣秀吉や徳川将軍家などの援助で復興。明治十四年(1881)方丈から出火し仏殿・法堂などを失ったが、三門をはじめ中世にさかのぼる建築がなお現存し、我が国の禅宗伽藍を代表する存在。三門は応永三十二年(1425)の建立で現存最古最大で国宝。東司(室町前期の建築)と浴室、鎌倉幕府の六波羅探題の遺構と伝えられる六波羅門、亀山天皇御所の遺構と伝える月下門、偃月橋・愛染堂・仁王門・十三重塔(石造)などは重要文化財。昭和十四年に完成した昭和を代表する作庭家重森三玲の設計で昭和十四年に完成した方丈の庭園は、釈迦成道の八相に因んで「八相の庭」と称する。
絵画では、国宝の無準師範像、室町初期の画僧明兆作の聖一国師像など多数。明兆は東福寺に入って殿司となり兆殿司と呼ばれ、大涅槃図なども描いた。
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