○東寺
■江戸期は信仰の場 『雍州府志』は「凡そ真言三部秘経の中、この寺は金剛頂経の道場として、専ら金剛界の理を説く。金剛頂経、或は教王経と号す。故に教王護国寺と号す」と記して、教王護国寺の由来を説明している。
江戸期の東寺は杜若や蓮の名所でもあったが、洛陽三十三所観音の二十三番、弁財天二十九ヶ所の二十一番、名不動七ヶ所まいりの三番、弘法大師二十一ヶ所参の二十一番、愛染明王二十六ヶ所廻りの十一番などと、信仰の場であった。特に弘法大師の祥月命日の三月二十一日(現在は四月二十一日)の御影供は、大勢の人々を引き付けた。
■歴史 南区九条町にある真言宗総本山。山号は八幡山。正しくは教王護国寺。世界文化遺産。本尊は薬師如来。延暦十三年(794)平安遷都の時に羅城門の東に創建。西の西寺(現在は廃寺)とともに平安京の二大官寺の一つ。弘仁十四年(823)嵯峨天皇が弘法大師空海に下賜して、真言密教の道場となる。承和二年(835)空海が宮中で後七日御修法を修し、王城鎮護の寺として朝野の信仰を集めた。空海没後、一時荒廃したが、高尾の文覚が後白河法皇・源頼朝の援助を受けて復興。信仰面では、御影供の挙行により弘法大師信仰にはずみをつけ、従来の官寺から民間寺院に脱却することとなった。都七福神まいりの一つ(毘沙門天)。
■見どころ 国宝や重要文化財が非常に多く枚挙に暇がないので、以下国宝のみを列記しておこう。
金堂は慶長八年(1603)豊臣秀頼の再建。寛永二十年(1643)上棟の五重塔は徳川家光の再建で五代目。総高約55メートルは現存する木造の塔として最高。西院大師堂は康暦二年(1280)から明徳元年(1390)の建立。もとは弘法大師の住房とされ、弘法大師像と秘仏の不動明王像を安置する。蓮華門は鎌倉前期の建築。
仏像では、講堂の五大明王像、五大菩薩像(中尊を除く)、梵天像、帝釈天像、四天王像、羅城門楼上に安置されていたと伝える兜跋毘沙門天像、神像彫刻の最古の作例の一つの八幡三神像がある。
絵画では、西院曼荼羅の異名を持つ「両界曼荼羅図(伝真言曼荼羅)」などが国宝。
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